シンドラーのリスト

発言に対する補足(その5)
FMOVIEで繰り広げられた『シンドラーのリスト』を巡る論争の一部。
でもって結局この映画は何かという自分なりの総括。by K. Hattori


 津岡さんがここまで的確にこの映画の欠点に気付きながら、なおかつ『技術力という面から見れば、かなり高い水準にある映画だと思います』と評価するのがわかりませんね。僕はこの映画は技術的にヘタクソな映画だと思っています。映画後半でシンドラーの内面が描かれていないのは単に舌足らずなだけで、それを意図していたわけではないと僕は考えているのです。

 この映画はナチのホロコースト政策の中で、ユダヤ人がどんな目に遭わされたかだけを描いた映画だと思います。『シンドラーのリスト』というタイトルとは裏腹に、本来主人公であるはずのシンドラーの描写がお粗末なのもそのためです。これは映画としては著しくバランスを欠いたもので、『一人の人間の成長の物語』としては明らかな失敗です。また、この映画はホロコーストを描いてはいますが、その背景として当時のヨーロッパにあった反ユダヤ主義・ユダヤ人差別についてはほとんど語っていません。唯一、ゲットーに追われるユダヤ人の列に「グッバイ・ジュー」と叫ぶ少女が登場するぐらい。ナチズムについてもまったく言及がない。これでは歴史解説映画としても落第です。

 僕がこの映画ですごいと思ったのは、かつて活字で読んで知っていたホロコーストが、動く絵として再現されていたことです。ゲットー襲撃シーンはまさに地獄の再現。迫力がありました。収容所に送られた女たちが点呼の前に指先に傷を付けて唇を赤く染めたり、頬をたたいて血色よく見せようとする場面など、あそこだけ観ていたら何をしているのかよくわからないと思うんですが、きちんと描かれてました。やっぱり活字と映像では伝えられる情報の量も質も違うわけで、スピルバーグがこの映画でこうした一連の光景や風景を細部まで再現したということの意義は大きいと思います。

 この映画の意図は「事実の追求」ではなく「事実の再現」でしょう。こうした作業は、映画のような大がかりな映像メディアにしかできないことです。その点においては、この映画は素晴らしい。ドラマが弱いのは欠点だと思いますけど、シュテルンに比べてシンドラーの描き方が貧弱なのは、スピルバーグが同じユダヤ人としてシュテルンに感情移入した結果だと考えています。

 で、やっぱりよくわからないんですが、津岡さんはスピルバーグがこの映画を通して何を言いたかったんだと思います? スピルバーグは「ヒューマニズムの仮面」と「観客をだまし操る巧妙な」「技術力」で、観客をどのように操作しようとしたのでしょう。スピルバーグの仮面の下には、いったい何があるんですか? それを言わずして口先だけの批判をしても、僕は認めませんからね。まぁこれもあなたにとっては『どうでもいい』ことなのかもしれないけどさ……。

P.S.
前回の発言では名前の字が間違ってましたね。
申し訳ありませんでした。


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