シンドラーのリスト

発言に対する補足(その3)
FMOVIEで繰り広げられた『シンドラーのリスト』を巡る論争の一部。
映画は似非ヒューマニズムだという意見への反論。by K. Hattori


 『健康診断のために裸になる男性。シャワー室に入るために裸になる女性』を悪趣味だと感じるのは普通の感覚です。僕も悪趣味だと感じました。しかし、その悪趣味はスピルバーグの悪趣味でしょうか? あの悪趣味はナチスの悪趣味ですよ。ああした悪趣味なことをナチスは実際にやっていたわけですからね。『シンドラーのリスト』は、こうしたナチスの悪趣味さ加減を、まざまざと描いていたと思います。スピルバーグがあのシーンを描いた意図は観客に「うわ、悪趣味」と感じてもらうことだったのでしょうね。ですからあのシーンを『ぼくたちの持つ覗き趣味を満足させるためのもの』と評するのは間違いでしょう。もしあのシーンが都岡さんの趣味を満足させたのだとすれば、都岡さんの中にナチスの悪趣味に通じるモノがあったからでしょうね。違いますかね。

 『シンドラーのリスト』は見せ物小屋の見せ物ではありません。スピルバーグは商売でイカガワシイ見せ物を売りにしているわけではありません。スピルバーグはどこまでも真剣だと思います。僕はこの映画を「たいしたもんじゃない」と思いますが、それはスピルバーグの「真剣さ」が逆に鼻につくからなのです。都岡さんはこの映画が『ヒューマニズムという仮面を被っていた』と言いますが、ではこの映画の本体はどんな顔をしているのでしょうか。僕にはこの映画の本体が「ヒューマニズム」だと思っています。ただそれがあまりにもあからさまなので鼻につくのです。都岡さんはこの映画の鑑賞を義務づけた人たちを『偽善者』と評しますが、僕はそうは思いません。この映画を「いい映画」と評価する人たちは、基本的に「いい人」ですよ。ただ僕にはその「いい人」が、あまりにも単純な人たちに思えてしまうだけなのです。

 僕は『シンドラーのリスト』の主旨はよくわかるつもりだし、スピルバーグがこの映画を通して何が言いたかったのかもよくわかるつもりです。僕がこの映画に高い評価を下さないのは、この映画に技術面できわめてヘタクソな部分を感じてしまうからです。スピルバーグがやりたかったことは全面的に支持していますよ、僕は。ただそれが上手に表現に結びついていたかと言えば、そうではないだろうなと思いますけど……。

 都岡さんがこの映画に対してどんな感想を持とうが勝手ですが、僕と都岡さんの感想は全然違います。僕は都岡さんの意見にぜ〜んぜん共感できません。言葉がきつくてすいません。ちょっと酔っぱらってます。


ホームページ
ホームページへ