氷の接吻

1999/12/28 日本ヘラルド映画試写室
ユアン・マクレガーとアシュレイ・ジャッド主演のサスペンス映画。
ミステリーの答えが永久に棚上げされたミステリー。by K. Hattori


 ユアン・マクレガーとアシュレイ・ジャッドという、今ハリウッドで売り出し中の男優と女優が主演する、ミステリアスなラブストーリー。原作はマーク・ベイム。監督・脚色は『プリシラ』のステファン・エリオット。マクレガガー演じる英国諜報部員アイは、上司から息子の素行調査を命じられる。どうやら上司の息子ポールは、最近悪い女に引っかかって大金を貢いでいるらしい。アイは早速最新のハイテク装備でポールを監視し始めるが、いきなり美しい女が彼を殺して海に捨てる場面を目撃してしまう。面食らったアイは事件の捜査を警察当局に委ねようとするが、とっさの判断で個人的な捜査に切り替える。女の名はジョアナ・エリス。こうしてアイは、彼女を追ってアメリカ中を旅することになる。

 登場人物の行動動機がわかりにくく、それがこの映画のミステリアスな雰囲気を一層高めている。「動機がわかりにくい」というのは、普通なら映画の欠点を指摘するときに使う台詞なのだが、この映画ではそれが意図的に行われているようだ。ジョアナはなぜ次々に男たちを殺すのか。アイはなぜ彼女に惹かれていくのか。そうした根本的な部分は、映画の外側に置かれていて、スクリーンの表面からはうかがい知ることができない。しかしこの映画が上手いのは、スクリーンの外側には確実にそうした動機が“ある”と観客に感じさせるところだ。アイもジョアナも、彼らなりに切実な動機から行動しているのだろうと思わせる。アイは妻と子に去られている。ジョアナも父親に捨てられたという過去を持っている。しかしそうした過去は、直接の動機ではない。そうした過去が彼らの心のどこかに働きかけて、彼らの動機を形作っている。そのプロセスは余りにも繊細だ。

 主人公たちの動機に限らず、この映画では登場人物たちを巡る「なぜ?」という疑問が、すべて映画の外側に置かれている。例えば、ジョアナと彼女の保護観察をしていたブロート博士の関係はあえて曖昧にされているが、そこにただならぬ物語が隠されていることがわかる。アイが見る娘ルーシーの幻影からは、彼と家族との凄まじい葛藤の痕跡が感じられる。だがそれが具体的にどんなものであったのかは、まったくわからない。

 物語のベースにあるのは、人間のコンプレックスや欠落感だ。父親に捨てられた経験がトラウマになって、男を殺しては「メリー・クリスマス、パパ!」と叫ぶジョアナ。ジョアナは盲目の富豪アレックスを愛するようになるが、その気持ちに偽りはなかったと思う。彼女は傷ついた年輩の男に自分の父親の姿を重ねている。目の前から消えた娘の姿をジョアナに投影し、犯罪者を追う捜査官から、いつしか彼女を見守る守護天使へと姿を変えていくアイ。ふたりは傷ついたものしか愛せないのだ。

 「なぜ?」という疑問が解消しないまま、映画は終わる。だが疑問の答えを求めて、物語は観客の心の中で動き続ける。永久に答えが出ないからこそ、アイとジョアナの物語も永遠に続くのだ。

(原題:Eye of the beholder)


ホームページ
ホームページへ