アンナと王様

1999/12/17 FOX試写室
『王様と私』と同じ原作4度目の映画化でこれが決定版。
かなり観応えのある歴史劇になっている。by K. Hattori


 19世紀中頃にシャム(現在のタイ)王室に家庭教師として雇われたアンナ・レオノーウェンズの自伝「シャム宮廷のイギリス人教師」を原作にした20世紀フォックスの映画。この原作は過去にもフォックスで『アンナとシャム王』『王様と私』(アニメ版のリメイクもある)として3回映像化されている。これはもう、市川家にとっての歌舞伎十八番みたいな素材です。今回はミュージカルではなく、一連の出来事を歴史劇として描いた重厚な大作。主人公アンナをジョディ・フォスターが演じ、シャム王モンクット(ラーマ4世)をチョウ・ユンファが演じている。監督は『エバー・アフター』のアンディ・テナント。マレーシアに建設されたという王宮のオープンセットをはじめ、美術に膨大な予算をかけたことが一目でわかるリッチな映画。フォックスはこの映画を、同原作ものの決定版にするつもりなのでしょう。

 アンナがシャムにやってきたのは1862年。鎖国政策を採っていたシャムは、7年前の1855年に英国と通商条約を締結して開国開放政策に転じている。その立て役者がモンクット王だが、映画にその経緯は描かれていない。19世紀のこの時代は、欧米列強がアジア諸国を次々に開国させており、日本もタイに遅れること3年後の1858年に開国している。当時のアジア諸国にとって、欧米の武力による開国は最悪のシナリオであり、アヘン戦争に負けて1842年に屈辱的な開国を迫られた清のケースは反面教師になっていた。欧米に食い物にされないためには、国際的なパワーバランスの上でうまく立ち回る外交能力が必要だが、その前提になるのは国家の近代化であり、そこに欧米流の教育は欠かせない。そこで登場するのが、外国人教師なのだ。日本でも明治維新後、外国から多くの教師を招いている。日本もタイも同じように、アジアの中で国家の近代化を進めたのだ。そんなことを考えていたので、僕はこの映画のモンクット王に親しみを感じた。映画の中で武力による外国勢力排斥を訴えて王に反旗を翻す将軍の立場も、「ああ、これはタイ版の攘夷論なのだな」とすぐに理解することができた。日本もタイも、やってることは同じじゃないか。

 外国勢力を一層してタイを武力統一したタークシン王の実話を物語にうまくからめるなど、映画は歴史の転換期を迎えた一国の指導者と、その目撃者となるひとりの外国人女性のドラマとして配慮が行き届いた内容になっている。階級社会であるイギリス出身のアンナがアメリカ人風の平等意識を持ちすぎているとか、モンクット王が気さくで人間味たっぷりの君主像に描かれ過ぎているという点は気になるが、これはハリウッド・メジャー作品の限界かもしれません。結局は家庭教師と王様のラブ・ロマンスになっている。同じ素材を『エリザベス』のシェカール・カブール監督あたりが演出すると、イギリスの高慢さや抜きがたい人種意識、近代化を急ぐアジアの悲哀のようなものにまで目が行き届いて、まったく違った映画になったと思います。

(原題:Anna and The King)


ホームページ
ホームページへ