クリミナル・ラヴァーズ
(原題)

1999/11/05 ル・シネマ2
(第12回東京国際映画祭)
フランソワ・オゾン監督が描く本当に怖い「ヘンゼルとグレーテル」。
映画としての完成度は、相変わらず極めて高い。by K. Hattori


 『サマードレス』『海をみる』などの短篇作品と、長編デビュー作『ホームドラマ』で知られる、フランソワ・オゾン監督の最新作。主演はエリック・ゾンカ監督の『天使が見た夢』のナターシャ・レニエと、同姓の若い俳優ジェレミー・レニエ。映画の中でふたりは恋人同士という設定ですが、実際には姉弟なのかな……。物語はオゾン流に脚色された現代版の「ヘンゼルとグレーテル」。童話と異なり、この映画の主人公たちは純真無垢な少年少女ではありません。ヒロインのアリスは自らの歪んだ愛情を成就させるため、交際中のボーイフレンドをあおって同級生を殺させる。死体を埋めに深い森に入ったふたりは、童話のなかの兄妹がそうであったように、帰り道を見失って森で迷子になってしまう。やがてふたりが辿り着いたのは、お菓子の家ならぬ森の中の掘っ立て小屋。小屋の食物をむさぼり食うふたりは、魔法使いのお婆さんではなく、小屋に住む謎めいた男に捕らえられてしまう。「ヘンゼルとグレーテル」は、子殺し、人肉食、殺人などが織り込まれた、かなり残酷な物語です。この映画は童話の下に隠された残酷なエピソードを、グロテスクに変形させながら画面に描きだす。

 人間が心の中に持っている潜在的な悪意や、殺意の裏側にある善意を、オゾン監督は繰り返し描いている。映画の口当たりはいいが、これはかなりの劇薬だ。しかしそれでも、今回の映画祭でコンペに出品された作品の中では、これが一番ましな映画かもしれない。陰惨で辛辣なアンチ・ハッピーエンディングを貫きながらも、オゾン監督の映画にはどこか爽やかで痛快な部分がある。 「どうだ、びっくりしただろう」という小賢しいところが、映画の中にあまり感じられないのです。人間が持つ醜さや愚かさを描いていても、人間を高見から見下ろして「どうだ思い知ったか」と言っている気配もない。人間の善悪で言えば、オゾン監督の興味は明らかに「悪」の側にある。しかしそれに過度に共感するわけではなく、それを断罪するでもない。モラルとは別の部分で、オゾン監督は「悪」に共鳴しているのです。彼はどんなに巧妙に隠された悪徳も、鋭く嗅ぎ付けて暴き立ててしまう。『ホームドラマ』では通俗的なシットコムの下に隠れる人間の欲望や殺意を描き、『クリミナル・ラヴァーズ』では有名な童話の下に隠れたセックスと殺人を描きだす。姿勢はいつも一定しているのです。

 映画の冒頭でいきなり凄惨な殺人シーンがあり、主人公たちの逃亡劇がスタートする。殺されたのは誰か。被害者はなぜ殺されたのか。殺人の動機は何か。主人公たちはどこに逃げようとしているのか。こうした謎で物語をひっぱる前半と、小屋からの脱出をテーマにした後半が見事に解け合った脚本は見事。観る人によっては不快感を持つでしょうが、映画としての完成度はきわめて高い。ただ『ホームドラマ』で味わった衝撃は、もうここには存在しない。フランソワ・オゾンは、長編2作目にしてすでにベテランの風格があります。

(原題:Les Amants Criminelles)


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