風が吹くまま

1999/10/22 映画美学校試写室
アッバス・キアロスタミ監督のヴェネチア映画祭審査員グランプリ作。
小さな村で葬式の取材をしようとしたのだが……。by K. Hattori


 『桜桃の味』でカンヌ映画祭パルムドールを受賞した、アッバス・キアロスタミ監督の最新作。この作品は今年のヴェネチア国際映画祭で、審査員グランプリを受賞している。『桜桃の味』は自殺志願をする男の話だったが、この『風が吹くまま』は、ある老婆の死を待ち望む男の物語。テヘランから700キロ離れた山奥の小さな村に、葬式にまつわる奇妙な風習があると聞きつけて取材に訪れたテレビ局の取材クルーがいる。ところが、今にも死にそうだと聞いていた老婆はなかなか死なず、3日で終わるはずの取材は何も手を付けられないまま2週間がたってしまう。面だって葬式の取材だとも言えず、村に電話を引く技師だと名乗っているクルーたちは、長い足止めで少しずつイライラしてくる。特にディレクターのベーザードは、同伴のスタッフたちからは急かされ、テヘランの上司からは取材を諦めて戻ってこいとせっつかれてばかり。何もしていないのに、彼ばかりがストレスをためてしまう。いっそのこと、誰かが一思いに老婆を殺してくれないものだろうか……。と、そんなバカなことまで考え始めてしまう。

 じつはこの映画の試写はこれが2度目。先月末にも1度試写を観たのだが、その時はすっかり眠りこけてしまって、全体の半分も観ていなかった。そこで今回、再度気を取り直して、体調を整え、試写に挑んだ次第ですが……。いかん、また寝てしまったぞ。映画の序盤で、つい20分ほどウトウトしてしまった。今回は最初から「どこでなぜウトウトするのか」を分析しながら観ていたので、それだけでも前回よりマシと言えばマシ。

 この映画は、主人公ベザードがぶつぶつ文句を言う言葉で、全体の7割ぐらいができている。会話のシーンでは会話の相手を見せず、ベザードの姿しか描いていない。例えばこの映画には、ベザードと一緒に村に入ったスタッフの声は聞こえても、姿は最後まで画面の外や建物の中に隠れて登場しない。ベザードが村人たちと会話をする場面でも、ベザードの姿は見えても村人たちははるか遠景であったり、後ろ姿であったり、画面の外に立っていたり、真っ暗闇で顔が見えなかったり、堀かけの井戸の底に潜っていたりする。こうした会話スタイルによって、普通に会話をしている場面でも、まるでベザードがたったひとりで喋っているような印象を受ける。全部が独り言みたいに見えるのです。

 イラン映画の多くがそうであるように、あるいはキアロスタミの作品がそうであるように、この映画にも子供が重要な役回りで登場します。主人公ベザードと互角に相対するのは、最初に彼らを村に迎え入れた少年ファザードだけなのです。

 携帯電話がコミカルな状況を作る小道具として登場し、人ごとではない笑いを生み出しています。携帯電話を受けたのはいいが、電波状態が悪くてウロウロしたことがある人は、この主人公の行動に共感し、その次に笑い出してしまうことでしょう。

(英題:The Wind Will Carry Us)


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