アシッド ハウス

1999/10/19 GAGA試写室
『トレスポ』のアーヴィン・ウェルシュが書いた小説を映画化。
3話オムニバスだが最初の第1話がケッサク。by K. Hattori


 大ヒット作『トレインスポッティング』の原作者アーヴィン・ウェルシュの初期短編集「アシッド ハウス」を、ドキュメンタリー出身のポール・マクギガン監督が映画化。第1章「ザ・グラントン・スターの悲劇」、第2章「カモ」、第3章「アシッド ハウス」からなるオムニバス映画で、それぞれの話につながりはない。(例外は第1章で神様を演じたモーリス・ローブスが、残り2話にも別の役で登場しているぐらいか?)『トレインスポッティング』と同じ原作で、『トレインスポッティング』にも出演していたユエン・ブレンナーが出演しているエピソードがあるからといって、『トレインスポッティング』と同じ面白さを期待すると裏切られるぞ。この映画はドキュメンタリー監督が撮った映画だけに、登場人物たちの汗や埃まじりの体臭まで感じられるような、ベタベタのリアリズムで貫かれている。『トレスポ』の持っていた軽快さの100分の1もここにはない。なお原作者のウェルシュは今回脚本も自ら書いており、第1章の冒頭には掃除夫役でゲスト出演している。

 毛色の違う3つのエピソードのうち、どの話が気に入るかは人によって違うだろう。僕は第1話がお気に入り。地元のサッカーチームを追い出され、家からも出ていくように言われ、5年もつき合っていた彼女に振られ、警察に逮捕されて留置場でリンチを受け、さらに会社をクビになった運の悪い男が、パブで出会った神様に、よりにもよってハエにされてしまうという悲惨な話。これより悪いところはないだろうという状態から、「下には下がある」と言わんばかりに墜ちて行く主人公。悲惨な話ではあるけれど、ここまで来ると笑ってしまう。矢口史靖の『裸足のピクニック』で感じられたのと同じ、マゾヒスティックな笑いです。巡り合わせで次々襲ってくる不幸をつるべ打ちにして、「うっそ〜」という状態にまでエスカレートさせて行くのがポイント。

 逆に観ていて一番イヤだったのは第2話。できちゃった結婚でもらった女房がとんでもない女で……、という話なのだが、主人公である夫の側にまったく逃げ場がないのが悲惨すぎる。主人公の心情を歌で綴るという仕掛けはあるのですが、それがユーモアにまでは転化していないのです。かえって主人公の悲惨な境遇を際だたせる寒い演出になってしまった。これは『三文オペラ』や『メリーに首ったけ』、あるいは映画版『ショムニ』のように、町中で突然歌い始める吟遊詩人かコーラス隊でも登場させるべきでした。主人公の男を気の毒がってもしょうがないんだもん。不幸は笑い飛ばさなきゃ。

 薬中のフーリガンと生まれたばかりの赤ん坊の魂が入れ替わるという第3話は、アイデア一発勝負のアイデア倒れという印象。めくるめくジャンキーの一人称視点を、もっと徹底させないと詰まらない。こちらは既に世界一汚いトイレに潜っていく『トレインスポッティング』を観ているんだから、それに匹敵する幻視シーンを作らないとビックリしないよ。編集だけじゃだめなのです。

(原題:THE ACID HOUSE)


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