千年旅人

1999/09/24 松竹試写室
芥川賞作家でありミュージシャンでもある辻仁成の監督作。
思いこみばかり強くてドラマに芯がない。by K. Hattori


 病気で余命1ヶ月と診断された男が、生まれ故郷である海沿いの小さな町に帰ってくる。彼が一生のうちで唯一愛した女と、死ぬ前にもう一度だけ逢いたい……。男の名はツルギ。彼が愛した女は洋子という。だが故郷の町でツルギを待っていたのは、10年も前に洋子が死んだという事実だった。町に残っているのは、洋子の忘れ形見であるユマという少女。彼女は母親と一緒に事故に遭い、片足を切断している。ユマの父親で、ツルギや洋子の幼なじみでもあった良太は、ユマが小さな頃に町を出ていったという。海岸に打ち捨てられている小さな廃船を見つけたツルギは、病んだ体を引きづりながらそれを修理する。やがてツルギとユマは、海で自殺しようとしているトガシという男と出会うのだが……。

 芥川賞作家でありミュージシャンでもある辻仁成の映画監督2作目。(1作目は南果歩主演の『天使のわけまえ』。)彼は作家・詩人としては「つじ・ひとなり」を名乗り、ミュージシャンとしては「つじ・じんせい」と名乗っている。この映画は「つじ・じんせい」の監督作品。監督の他に、脚本と音楽監督も担当している。主演はツルギ役に豊川悦司。ユマ役にはオーディションで選ばれた新人のyuma。トガシ役はドラマ「星の金貨」や映画『チンピラ』の大沢たかお。ユマの祖母役でベテランの渡辺美佐子が出演している。物語はすべてこの4人の中で完結している。例外はお祭りの場面で町の人々が風景の一部として登場するところや、ユマの母である洋子の写真、ツルギが目撃する洋子の幻影などです。物語の舞台を特定するエピソードや台詞はないが、ロケが行われたのは石川県能登半島にある門前町。この町こそ、この映画のもうひとつの主人公と言えるかもしれません。登場人物の誰よりも、町のたたずまいそのものに存在感があります。

 映画そのものは、ものすごくつまらなかった。1時間54分が長く感じられてしょうがない。周囲から隔絶された小さな空間の中に少人数を配置し、人間の原型を形作ろうという意図があるのでしょうが、それが成功しているとはとても思えない。僕はここに登場する4人の人間に、普遍的な人間の営みがあるとはとても思えないのです。ここに登場する4人の人間を見て、「これは俺だ!」と思える観客がどれだけいるでしょう。そもそも、なぜ彼らはその場所にやってきたのか。なぜその場所にとどまり続けようとするのか。それすらも明確になっていない。ツルギは町に来る前に何をして暮らしていたのか。トガシはなぜ自殺を図ろうとするのか。そんな登場人物たちの過去をあえて曖昧にしたのは作り手側の意図でしょうが、それが人物像そのものを曖昧にしてしまうのでは意味がありません。

 ツルギ・洋子・良太という過去の三角関係を、ツルギ・ユマ・トガシの三角関係に重ね合わせる構成も失敗していると思う。ドラマとしては欠陥がありすぎです。でも、ひとつひとつの絵作りは魅力的だったりするんだよね。これはロケーションとカメラマンのおかげかな。


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