ワンダーランド駅で

1999/09/09 メディアボックス試写室
男と女の出会いそうで出会わない恋の綾を描くラブコメディ。
舞台はボストンだが雰囲気はヨーロッパ映画。by K. Hattori


 ボストンを舞台にした軽妙なラブ・コメディ。普通ラブコメというのは、男と女が出会ってからの様々な出来事を描くものですが、この映画は男と女が出会うまでを描いた異色作。主人公である男女を最初に観客に提示しながら、ふたりがなかなか出会わない様子にやきもきし、最後のハッピーエンドにはニッコリします。最後の最後まで主人公たちが直接出会わないラブコメには、ノーラ・エフロンの『めぐり逢えたら』もありますから、これ自体は別に珍しい手法ではないのかもしれません。ただし、ノーラ・エフロンがハリウッド古典映画にべったりと依存しているのに比べ、この『ワンダーランド駅で』にはヨーロッパ映画のようなテイストがあるのがユニーク。監督のブラッド・アンダースンがイギリスで映画を勉強していたり、撮影監督のウタ・ブリーゼウィツがドイツ人だったりすることが、ハリウッド製のアメリカ映画とはまったく違う雰囲気を作り出しているのでしょうか。僕はこの映画の予告編を観たとき、絶対にヨーロッパ映画だと思ってました。

 ヒロインのエリンが、同棲中の恋人に突然去られるところから映画が始まります。周囲の友人たちや母親は、何とか彼女に新しい恋人を世話しようとする。母親はエリンに黙って新聞に恋人募集広告を掲載し、エリンの恋人探しは本格化するのだが……。一方、水族館でボランティアをしているアランは、海洋生物学者を目指して大学で勉強中。クラスメイトのジュリーから猛烈なアタックを受けているものの、彼はその気になれないでいる。エリンとアランは街の中で何度かすれ違うのだが……。

 観客の側は、エリンとアランが最後には巡り会って結ばれるのだろうという予断を持っている。しかしそれは、観客側の思いこみでしかない。映画が終盤に差し掛かると、「このふたりは結局出会うことがなくて、別々の恋人ができてしまうのかな……」と思い始める。フランス映画あたりだと、そういう展開も大いにあり得るからです。この映画は映像のタッチも物語の展開もヨーロッパ映画風なので、アメリカ映画的なハッピーエンドはないのかもしれない。観客の期待を裏切っても「それが人生さ!」とうそぶいて終わってしまう可能性もある。観ているうちに、「そういうラストでも構わないけどね」という気分になってくるから不思議だ。

 理想の恋人探しを描いた映画ではあるけれど、ここから感じられるのは「恋人なんていなくたって構わない」という一種の開き直り。どこでどんな出会いがあるかなんて誰にもわからないのだから、恋人探しそのものが自己目的化してしまうなんてバカげている。ただしこの映画の「恋人なんていなくてもいい」という開き直りは、「どこかで運命の人に出会えるさ」という楽観的な展望の裏返しでもあるのだけれど……。

 ボサノバを使ったサウンドトラックがなかなかオシャレ。ブラジル男が突然「ウェーヴ」を歌い始めるラストシーンは、ミュージカル映画のノリさえ感じられた。

(原題:NEXT STOP WONDERLAND)


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