フィルモア・ラストコンサート

1999/09/09 松竹試写室
伝説のライブハウス“フィルモア”のクロージング・コンサート。
主人公はオーナーのビル・グレアムだ。by K. Hattori


 1971年7月に閉鎖されたサンフランシスコのライブハウス、フィルモア・ウェスト。1965年12月にフィルモア・オーディトリアムとしてスタートしてから、わずか5年半強で閉鎖されてしまった伝説のライブハウス。しかしそこでは、'60年代から'70年代始めに活躍した人気バンドが、日毎夜毎に熱のこもったライブを行っていたという。ここをプロデュースしていたのは、後にライブ・エイドやアムネスティ・コンサートのプロモーターとしても活躍するビル・グレアム。ロシア系ユダヤ人としてベルリンに生まれた彼は、ナチスの台頭で難民としてアメリカに渡ってきた人物だという。(グレアムは'91年に事故で亡くなっている。)

 なんと、またユダヤ人です。つい先日観た『ブルー・ノート/ハート・オブ・モダン・ジャズ』でも、ドイツ出身のユダヤ人がブルーノート・レーベルを作ったことが詳細に描かれていた。現在のアメリカのポピュラー音楽の源流は今世紀初頭のニューヨーク・ティンパンアレーにあるのだが、そこで活躍していたのもバーリンやガーシュインといったユダヤ人の音楽家たち。こうなると、20世紀のアメリカ音楽はすべてユダヤ人たちが作ってきたといっても過言ではないな……。

 この映画は'71年6月29日から7月4日にかけて行われた、フィルモアのクロージング・コンサートを記録したもの。出演したのは、グレイトフル・デッド、クイックシルバー・メッセンジャー・サーヴィス、ホット・ツナ、サンタナ、イッツ・ア・ビューティフル・デイ、ボズ・スキャッグスなど。とは言っても、この映画のテーマはステージ上にはない。ここで描かれているのは、コンサートの主催者であるビル・グレアムの肖像だ。映画の冒頭は、フィルモアの前で入場を待つ大勢の人の列と、それに沿って歩くグレアムの姿から始まり、映画のラストは、コンサートがすべて終わった後、客席のフロアを歩くグレアムの姿で終わる。その間に、彼は電話でミュージシャンたちに出演交渉し、飛び込みで売り込んでくるバンドのメンバーを追い返し、取材をさばき、ステージでミュージシャンたちの紹介し、自分自身の人生やロックに対する思いを語る。

 この映画の面白さは、わがままなミュージシャンをいかにグレアムが口説き、演奏させるかという部分にある。映画序盤ではボズ・スキャッグスが出演をキャンセルしたいと言いだし、グレアムを電話口で怒鳴らせることになる。映画の終盤のクライマックスは、最終日の目玉にサンタナの演奏を入れたいというグレアムが、いかにして出演交渉をするかという部分。こうした出演交渉の場面で、グレアムは時に声を荒らげて悪態をつき、その直後には穏やかな声で哀願する。でもそのベースになるのは、グレアムとミュージシャンたちの信頼関係や友情なのではなかろうか。「俺の最後のパーティーなんだ。ぜひ出席してほしい」というグレアムの口説き文句が、それを如実に表している。

(原題:FILLMORE)


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