ヘンリー・フール

1999/09/01 シネカノン試写室
ふらりと町に現れた前科者の自称詩人ヘンリー・フール。
彼は山師か、それとも本物の天才か? by K. Hattori


 『トラスト・ミー』『シンプルメン』などで知られるニューヨークのインディーズ監督、ハル・ハートリーの新作。上映時間は2時間17分と長めだが、昨年のカンヌ映画祭で脚本賞を受賞しているだけあって、物語は先の展開がまったく読めずスリル満点。冒頭からラストまで、あっという間に過ぎてしまった。

 主人公はサイモン・グリムは、町のゴミ収集を仕事にしている目立たない青年。鬱病の母親と、尻軽の姉と3人暮らしだ。そんなグリム家に、ヘンリー・フールという男が転がり込んでくる。刑務所から出たばかりの彼は、分厚いノートに「告白」を書き綴り、サイモンにもノートを渡して何か書けと言うのだ。サイモンはノートに何かを書き始める。それは見事な詩だった。ヘンリーはサイモンの才能を伸ばすために様々なアドバイスをし、出版社に売り込むために奔走し始める。

 平凡な目立たぬ人物に意外な才能がある話など、過去に何度も映画になっている。『ヘンリー・フール』の面白さは、突然現れたヘンリーという男の正体がなかなか見えてこないミステリーにある。彼はなぜ刑務所に入っていたのか。彼が書いている「告白」の中身は何なのか。彼が太鼓判を押すサイモンの才能は本物か。ヘンリーは天使なのか、それとも悪魔なのか……? 映画を観る側のそんな思惑はことごとくはぐらかされ、期待は大きく裏切られてしまう。しかしそのはぐらかしや裏切りが、奇妙なことに心地よいのです。

 サイモンの書いた詩はあちこちで評判になり、何人もの運命を変えて行く。マスコミで話題騒然となり、出版界に旋風を巻き起こす。でもこの映画には、サイモンの詩そのものは登場しないし、ヘンリーが書いている「告白」の本文も登場しない。出てくるのはそれを読んだ人の評価や反応だけだ。実物を作ってしまえば、観客は「なんだ大したことないじゃないか!」と白けてしまうだろう。だから実物を最後まで見せないのは手法として正しい。こうしたテクニックは古いハリウッド映画にもあるもので、芸をする虫が登場する『此の虫十万弗』や、見えないウサギが登場する『ハーヴェイ』などの延長上にあるものだろう。こうしたテクニックを使うことで、『ヘンリー・フール』はファンタジックなおとぎ話の匂いがする映画になっている。

 謎の人物ヘンリーを演じているのは、舞台出身でこれが映画初出演となるトーマス・ジェイ・ライアン。黒っぽいスーツ姿で巨体を包み、長髪に無精ひげに三白眼。刑務所帰りで現在無職。それでいながら自らを天才と称し、ご大層な文学論を弁じて止まらない中年男。そんな「怪しさ250%」の男が魅力的に見えてしまうのが、ハル・ハートリー作品の面白いところ。他の登場人物も、ひとりひとりは決してリアルで生々しい存在だとは思えないのですが、映画の中では独自の存在感を持って光っている。どこか浮世離れしていているのに、確かな実態がそこにある。まるでおとぎの国の住人です。

(原題:Henry Fool)


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