梟の城

1999/08/27 東宝第1試写室
司馬遼太郎の初期代表作を篠田正浩監督が再映画化。
脚本が未整理で作りも安っぽい。by K. Hattori


 国民作家とも呼ばれる故・司馬遼太郎の初長編小説にして、昭和34年の直木賞受賞作でもある「梟の城」。昭和38年には工藤栄一監督によって『忍者秘帖・梟の城』として映画化されている原作を、篠田正浩監督が再映画化した時代劇。戦国末期、織田信長に壊滅させられた伊賀忍者の生き残りたちが、新たな天下人となった豊臣秀吉の暗殺を計画するという時代劇だ。最初の映画化では大友柳太朗が主人公・重蔵を演じたが、今回の映画化では中井貴一が主人公を演じている。篠田監督は『写楽』でも使ったデジタル合成やCG技術を総動員して、秀吉時代に花開いた安土桃山文化の絢爛豪華さと、血で血を洗う凄惨な政治テロリズムの世界を描こうとしている。だが、この意欲は空回り気味だ。

 製作費は10億円。問題はこの「10億円」という金を、高いと感じるか安いと感じるかだ。単純に10億という金額だけを見れば、この製作費は邦画としては破格のものだろう。しかし本格的な時代劇をゼロから作る費用として、10億円は安すぎると思う。時代劇は衣装やセットに莫大な金がかかるので、このシナリオで『梟の城』を映画化しようとすれば、最低でも30億円ぐらいは必要になってくると思う。10億円の日本映画は確かに大作だが、それは普通なら5億円で済む映画に10億注ぎ込むから贅沢ができるわけで、30億かけなければならない映画を10億で押さえようとすれば、全体に貧乏くさい映画になるのは目に見えている。この映画は「製作費10億円の大作」ではなく、製作費が10億円しか使えない「低予算映画」なのだ。

 この映画は低予算なので、デジタル合成やCGもひどくチャチなものしか作れない。画面のツギハギは目立つし、合成した部分はのっぺりとしたビデオ風の映像になってしまう。安さをカバーして画面にゴージャスな感じを出すために、通行人や大道芸などのエキストラにいろいろなことをやらせているのだが、これもスポンジの貧弱さをカバーするためゴテゴテに飾り立てたデコレーションケーキのようで悪趣味だ。

 2時間18分の映画だが、物語の足腰が貧弱で最後まで持ちこたえられない。この映画では、結局何が描きたかったのだろうか? 登場人物が多いのはしょうがないにしても、エピソードを構成する際、どこかに焦点をあててくれないと感情移入しにくいのです。主人公の行動を阻止しようとする人物が何人も出てきますが、映画では誰が物語の中心にいるのかさっぱりわかりません。主人公の影とでも言うべき、伊賀忍者の裏切り者・風間五平がキーマンでしょうか? それとも主人公の命を狙う謎の女・小萩でしょうか? あるいは甲賀忍者・魔利支天洞玄でしょうか? もしくは服部半蔵? 意外や暗殺のターゲットになった秀吉本人?

 僕は篠田監督に活劇のセンスを感じないので、この映画についてもほとんど期待していなかった。でも、これはあんまりだ。もっと面白くなる素材なのになぁ……。


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