港のロキシー

1999/08/24 シネカノン試写室
あがた森魚の監督第3作目。函館が舞台の青春映画。
インラインスケート対決がちょっと面白い。by K. Hattori


 ミュージシャンあがた森魚の映画監督第3作目。北海道・函館の町を舞台に、インラインスケートに夢中になる少年たちを描いている。大きな屋敷に姉・菜穂子とふたりで暮らしている橘人は、アイスホッケーのオリンピック候補・健三に仲間たちと一緒にケンカを売り、逆にコテンパンにやられてしまう。健三はこのケンカ沙汰が原因で、選手登録を抹消されそうになる。橘人は健三に再挑戦しようとするのだが、まったく歯が立たない。一方健三は、映画館で働く菜穂子と知り合い親しくなる。

 モチーフになっているのは、ジャン・コクトーの「恐るべき子供たち」。両親のいない屋敷での、姉弟ふたりきりの生活。近親相姦の匂いさえする、ふたりの密接な絆。やがてそこにひとりの男が侵入して姉を奪うと、弟は羨望と嫉妬で気も狂わんばかりになる……。ただしこの映画では、姉弟関係や姉の恋人との三角関係ばかりが大きくクローズアップされているわけではない。ここで描かれているのは、少年から大人になろうとする少年たちの一夏の出来事。姉は弟や恋人の成長を見守る傍観者であると同時に、彼らの精神的な後ろ盾となる母のような存在。いずれにせよ、ドラマそのものは特別面白いものではない。主演の3人が映画初出演(演技初心者)ということもあり、台詞も芝居もぎこちない。そのぎこちなさが障壁となって、観客が登場人物たちに感情移入することをはばんでいるように思える。

 地域FM局のDJが物語の背景をナレーションで説明したり、暴力事件を起こした健三の処遇を協議する役員たちの様子を見せたりして、物語を要所要所で寸断して行くのも、感情移入を拒む要因だろう。

 僕はこの映画にドラマとしての魅力をまったく感じないのだが、時々現れる映画的としか言いようのないカットに驚くことがある。それは画面の中で複数のモチーフ同士がぶつかり合うコントラストであり、画面から漂ってくる詩情であり、モーション・ピクチャーとしての躍動感だ。例えば、屋上でのブラスバンドの練習風景。健三が橘人たちのグループをスケートで追いかけ、ひとりずつ殴り倒して行く場面。函館山頂上からのロードレースで、健三と橘人が坂をすべりおりて行くシーン。こうした場面の中の数カットは、ため息が出るぐらい美しい。もっとも、それは数カットの瞬間的な出来事に過ぎず、カットの集積としてのシークエンスが輝くことはあまりない。それがこの映画の欠点だろうか。

 インラインスケートという小道具そのものは今風だが、ファッションにしろドラマにしろ、この映画はどこかノスタルジックな匂いがする。男同士が殴り合った末に友情や理解が芽生えるとか、十代の少年たちがぞろぞろ出てくるのに女の子の話がほとんど出てこないとか……。よく言えば硬派、悪く言えばガキっぽい。ここに登場する少年たちは、女の子を追いかけるより、仲間と群れている方が楽しいのです。こういう風景は、最近の映画でほとんど観なくなってしまったものだ。


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