ポーラ X

1999/08/03 映画美学校試写室
運命的な出会いに翻弄される男の話だが……。暗すぎる。
レオス・カラックス監督の復活第1作。by K. Hattori


 『ポンヌフの恋人』以来8年ぶりとなる、レオス・カラックス監督最新作。カラックスの長編作品は『ボーイ・ミーツ・ガール』『汚れた血』『ポンヌフの恋人』の3本しかなく、しかもこの3本はドニ・ラヴァンという俳優がアレックスという役名で主演する三部作。今回の『ポーラX』は、主演俳優もドニ・ラヴァンからギヨーム・ドパルデューに交代し、過去3作のオリジナル脚本から原作ものに移行するなど、「新しいカラックス」をアピールする内容になっている。物語そのものは、ひとりの女に出会って破滅していく男を描いている点で、過去の3作と共通しているんだけどね……。

 原作は「白鯨」のハーマン・メルヴィルが書いた「ピエール、あるいは諸々の曖昧さ」という小説。タイトルの『ポーラX』は、この小説のフランス語タイトル「Pierre ou les ambiguites」の頭文字を集めたものに、謎を表す「X」を加えたものだという。映画の中には、ポーラという人物はひとりも出てこない。

 高名な外交官の一人息子として何不自由のない暮らしを送り、覆面小説家として成功もし、幼なじみの恋人と結婚目前のピエール。だが彼はある晩、「私はあなたの姉だ」と名乗るイザベルに出会う。外交官だった父が外国に駐在中、現地の女に生ませたらしい。ピエールはショックを受けるが、彼女を守るために家を飛び出し、婚約者とも別れ、イザベルと一緒にパリに出ていく。

 カラックスの映画はいつだって恋愛の狂気を描いていたわけで、今回のピエールの心理もその延長上に置くことができると思う。しかし僕は、この映画のピエールの気持ちに共感できないのだ。彼は自分自身の人生が欺瞞に満ちていることを知る。彼は本当の自分の人生を自分の手で切り開くために、イザベルとふたりでパリに出ていく。その理屈はわかるのだが、人間がそれまでの生活をかなぐり捨てて別の場所にジャンプするには、それなりの踏ん切りが必要なんじゃないだろうか。今までのカラックスの映画なら、心の揺れが身体の動きにつながる様子を、登場人物の「走り」で表現していたはずだ。『汚れた血』でそれは顕著。ドニ・ラヴァンは夜の街路をひた走り、ジュリー・デルピーはオートバイでどこまでも恋人を追いかけ、ジュリエット・ビノシュは滑走路を走り続ける。それがカラックスの映画の魅力だった。

 ところが今回の映画では、登場人物がほとんど走らない。ラジオのニュースを聞いたイザベルが走る場面が例外で、他はすべてオートバイで移動している。この映画では、心の揺れ動くプロセス(走ること)より、揺れ動いた結果(オートバイが到着する先)に興味があるのではないだろうか。僕は主人公たちが転落して行く様子が観たかった。転落した後には、あまり興味がない。

 ヒロインにあまり魅力がないのも……。イザベルはスチルで見ると美人なんだけど、映画の中では生気がなくてオバケみたいです。彼女に対抗するリュシーも、途中から病気になっちゃうしなぁ……。

(原題:Pola X)


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