ドニー・イェン
COOL

1999/07/27 映画美学校試写室
引退を決意した殺し屋が、個人的復讐の中で破滅する。
話はけっこうデタラメ。甘ったるすぎる。by K. Hattori


 香港映画界最後のカンフー・スター、ドニー・イェンが監督・主演したアクション映画。凄腕の殺し屋キャットは引退前の最後の仕事で、かつて自分を裏切った相棒ウェズリーを見つける。この好機を逃さず拳銃の引き金を引いたキャットだったが、ウェズリーは防弾チョッキを着ていたため無傷で助かってしまう。殺しの仕事を初めてミスしたキャット。しかもその相手は、殺しても飽きたりないほど憎んだ男だ。キャットはたまたまウェズリーを事情聴取に訪れた女刑事キャリーを彼の恋人と勘違いし、ウェズリーの目の前で彼女を誘拐。キャリーを人質にしてウェズリーをおびき寄せようとしたキャットだったが、じつはキャットにとってキャリーは憧れのエンジェル。キャットは自分の隠れ家の真向かいに住むキャリーに、密かに憧れていたのだ……。

 アクションシーンはともかくとして、物語はなんだかよくわからない。一匹狼の殺し屋が自分を裏切ったかつての相棒に復讐する話をやりたいのか、孤独な殺し屋と女刑事の禁じられた愛を描きたいのか、それとも両方のいいとこ取りをしたいのか……。この映画はふたつのモチーフの間に立って「どちらにしようか」とまごまごしている内に話がどんどん進んでしまい、結局どちらもきちんと描くことなしに終わってしまっていると思う。「二兎を追う者は一兎をも得ず」の典型的なパターンだ。

 映画の構成そのものにも、わかりにくい部分がある。例えば、殺しの現場でキャットがウェズリーに出会った瞬間、緊迫した場面に回想場面を突然挿入している。これでは物語の緊張感が途切れてしまうだろう。登場人物の中にも、役割が不鮮明な人たちが多い。物語の冒頭から登場するラジオDJのサイモンや、キャットを殺すために送り込まれた殺し屋の存在に、今ひとつ重みがないことも映画全体を軽くしてしまった。こうしたキャラクターには、ほんの少しの説明を付け加えただけで大きく生きてくる。例えばサイモンとキャリーを幼なじみという設定にしてみるとか、キャットに対抗心を燃やすナンバーツーの殺し屋という設定にするとか……。

 西村由紀江の音楽がベッタリとかぶさった映画は、やけにセンチメンタル。男と女の孤独や悲しみを描こうとする方針はわかるのだが、それとハードなアクションや復讐劇がうまくかみ合っていないのではないだろうか。ハードで血生臭い世界があるからこそ、その対比として男と女のセンチメンタルな世界があり、主人公たちはそれに憧れている。しかし一度人の血が染みついてしまった身体では、甘美な恋の余韻に浸ることなどできないというのが、この映画のテーマになるべきではないのか。動と静のコントラスト、殺しと恋のメリハリがないまま、全体を甘ったるい砂糖細工のように仕上げるのは、センチメンタルではなく「おセンチ」だと思う。

 キャリー役のアニー・ウーは嫌いなタイプじゃないですが、キャリーのキャラクターそのものがちょっと弱い。ドニー・イェンは石倉三郎に似てるなぁ……。

(原題:BALLISTIC KISS/殺殺人・跳跳舞)


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