一瞬の夢
(原題:小武〈シャオウー〉)

1999/06/30 ぴあ試写室
近代化を進める中国で時代の流れから取り残されたスリの青年。
もっとドラマを語ってくれないと退屈すぎる。by K. Hattori


 開発と都市化が進む中国の地方都市を舞台に、時代の流れから取り残されて行くチンピラの姿を描いた作品。昨年のベルリン国際映画祭で最優秀新人監督賞と最優秀アジア映画賞をダブル受賞した作品だというが、僕はあまり感銘を受けなかった。そもそも、この程度の話で1時間48分は長すぎる。ひとつひとつのカットを長回しで撮影しているのだが、その効果がまったくなくて、ただ長いだけなのだ。カットのつなぎをタイトに編集し直せば、この話は1時間20分ぐらいになるだろう。エピソードを整理して行けば、1時間を切る中編作品になる。僕にとってこの映画は、ダラダラ長く感じるだけだ。

 山西省汾陽でスリをしているシャオウーという青年が主人公。以前は同年輩の仲間たちと札付きのスリ集団としてならしていた彼も、今では古い仲間たちが次々と足を洗って正業に就き、スリ仲間の中では一番の年かさになってしまった。自分より年下のスリを束ねて元締めのようなことをしているシャオウーだが、昔の仲間で親友だったヨンの結婚式に招待されなかったことに大きなショックを受ける。いつまでも堅気の仕事に就けないシャオウーは、昔の仲間からも、家族からもつまはじきだ。カラオケ屋で知り合ったメイメイとつかの間の交流を持つものの、彼女もまた彼のもとから去ってしまう。

 世界がどんどん変わっていき、周囲の人間もそれに合わせて変わっていくのに、自分だけが変化から取り残されてしまったシャオウー。でも僕は、この主人公にちっとも共感できなかった。チンケなスリのくせに、いっぱしに顔役ぶっているのがそもそも気にくわない。偉そうな口を叩くわりには、女ひとり満足に口説くこともできない情けない奴。彼に好感を持つ観客が、どれだけいるんだろうか。少なくとも僕は嫌悪感しか持てなかった。最後に逮捕されたときは「いい気味」だったぞ。

 この映画はドラマ作りの方法を間違っている。最初にシャオウーの華麗な指芸をたっぷり見せ、堂に入った親分ぶりと、周囲の住民たちから頼りにされている顔役ぶりを格好良く描くことが大切なのではなかろうか。最初に羽振りのいい状態を見せておかないと、ひとりの人間が転落し、尾羽うち枯らしてゆく様子に面白さがなくなってしまう。最初は我が世の春を謳歌していたシャオウーが、ヨンの結婚式参列を拒絶されたことで自分の生き方に疑問を持ち、社会全体から阻害されている自分に気付く様子を、きちんと見せてほしかった。ストーリーの流れはそうなっているのに、それがドラマになっていないのが不思議でならない。見え透いた演出を拒否したドキュメンタリー・タッチが売りなのかもしれないが、こうしたドラマ作りとドキュメンタリー・タッチは、決して相反する表現ではないと思うのだ。

 先日観た『沈む街』もそうだったが、中国の着実な開発ぶりはすごい。外国資本の入った大都市部だけでなく、地方でもコツコツと地味な発展が続いている。あと何十年かすると、中国は大変身するかもしれない。

(原題:小武 / Xiao Wu)


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