ギャルソンヌ

1999/06/13 パシフィコ横浜
(第7回フランス映画祭横浜'99)
ようやく探し当てたゲイの父親に、娘は「息子です」と自己紹介。
ヴァレリー・ルメルシエはコメディ映画の天才だ。by K. Hattori


 『カドリーユ』で監督デビューしたヴァレリー・ルメルシエの監督・脚本・主演最新作。前作『カドリーユ』はサッシャ・ギドリの戯曲を映画化したラブ・コメディで、衣裳や美術などはいかにも作り物めかした色彩感にあふれ、戯曲臭を逆手にとった演出が才気を感じさせた。1作だけでは監督の才能などわからない。僕は正直言って、今回の映画にまったく期待していなかった。シングル・マザーに育てられた女性フレデリックが、母の死後に父親を探し当てると、これがなんとホモ。父親の気を引こうとしたフレデリックは、男性に変装して彼に近付き「息子です」と自己紹介。突然あらわれた息子に驚きながらも喜びを隠さない父親ピエールに対し、同棲している恋人フランシスはかなり不満顔……。ホモの男に子供がいるのは、今や古典となった映画『Mr. レディ Mr. マダム』にもある設定で目新しさは感じない。『Mr. レディ Mr. マダム』がハリウッドで『バード・ケージ』としてリメイクされていることもあって、むしろ手垢のついた古くさいものに感じてしまった。

 ところがこの映画は、やはり面白かったのです。今は「父親がゲイ」というだけでは笑いに結びつかない。この映画では「ゲイの父親」を持った娘が、父親に気に入られようと頓珍漢な行動をするのがミソ。ここで明らかになるのは、「ホモならこんなことで喜ぶだろう」という、娘側の一方的な思い込みや勘違いです。男性に変装して父親に近付いたのも、そうした結果に他ならないのです。この映画では一般の人のゲイに対する認識や、ゲイの人の中にあるさまざまな思いが細かく描きだされていて、『Mr. レディ Mr. マダム』の頃とは比較にならな いほど各キャラクターがリアルになっている。例えばフレデリックは、ゲイの友人が大勢いるくせに同性愛行為が嫌い。父親のピエールは自分がホモのくせに、ドレス姿のフレデリックを見て「オカマの変態はこの家から出ていけ!」と怒鳴り散らす。同性愛者にもいろいろな人たちがいるし、一般の人の同性愛に対する理解度もさまざまで、一概に「同性愛だから○○だ」とは言えないことが、この映画を観るとじつによくわかるのです。

 父ピエールや彼の恋人フランシスと同居しはじめたフレデリックが、自分を女性だと見破られないように苦労するエピソードの数々は、少女マンガみたいで面白かった。古典的な取り違えコメディの世界に、主人公が自ら飛び込んでしまうわけです。フレデリックがどのようにして周囲に自分が女性だと打ち明けるのかが、映画後半の大きな山場になる。告白は観る人が「ええっ!」と驚くような方法なので、上映時には会場からどよめきと笑い声と拍手がわき起こりました。

 この映画はまだ日本配給が決まっていないようですが、非常に面白い映画なのでたぶんどこかが買い付けると思う。僕ももう一度観たいなぁ……。この作品で、僕はヴァレリー・ルメルシエ監督の才能にしびれてしまった。今回の映画祭で3本の指に入る傑作です。

(原題:LE DERRRIERE)


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