カーニバル

1999/06/12 パシフィコ横浜
(第7回フランス映画祭横浜'99)
『ビヨンド・サイレンス』のシルヴィ・テスチュが主演したフランス映画。
カーニバルの喧噪の中で日常が壊れていく。by K. Hattori


 ドイツ映画『ビヨンド・サイレンス』で成長したヒロインを演じていたシルヴィ・テスチュ主演の最新作。 『ビヨンド・サイレンス』はドイツ語映画でしたが、今回は彼女がフランス語で芝居をしています。吹き替えではありません。映画上映前に舞台挨拶した彼女は、ちゃんとフランス語でしゃべってました。昨日観た『ロベールとは無関係』のヴァレンティナ・チェルヴィもイタリア語とフランス語と英語のトリリンガルでしたが、ヨーロッパの俳優は比較的簡単に、2ヶ国語や3ヶ国語をしゃべります。日本人から観ると、ちょっとびっくり。

 この映画は予告編を観たときから期待していたのですが、予告の印象とはまったく違う映画でした。映画の舞台はフランスの港町ダンケルク。年に1度のカーニバルを迎えて、町全体が浮かれている。予告編の印象では、カーニバルの楽しい雰囲気を全面に出していたのですが、映画はそんな楽しさの下になる生活の危うさや危険を浮き彫りにする人間ドラマです。家族とのいさかいから家を飛び出したアラブ系の青年ラルビは、祭りの酒に酔いしれたクリスチャンと、彼の妻ベアに出会う。祭りの夜だから許される無礼講のキス。だがラルビはそのキスひとつでベアに心を奪われ、カーニバルの町に残ってしまう。ラルビの存在は、クリスチャンとベアの夫婦関係に波紋を広げてゆきます。嫉妬深いクリスチャンと、祭の浮かれた気分に酔ったベアの関係は、ラルビによって決定的な危機を迎えることになるのです。

 映画を観た印象は「予告編の方が面白かった」というもの。カーニバルの楽しい雰囲気がもうひとつ伝わってこないので、ベアのキスやセックスが、カーニバルで高揚した気分が生み出した「気まぐれ」だということがわかりにくくなっている。これがわからないと、彼女がラルビと関係を持ちながらもクリスチャンを愛し続けるという描写が不可解だし、ベアが気分だけでセックスするふしだらな女に見えてしまうのだ。映画の序盤に、カーニバルの華やかな場面をもっと入れるべきだった。

 この映画の悲劇性は、ラルビの登場によって引き起こされたものだ。彼はこの映画のなかでは、カーニバルの熱に浮かれる人間たちのなかに放りこまれた、一種の 「異物」として機能している。ラルビは夫も子供もいるベアに向かって、自分勝手な要求を突き付けるだけ。彼の意見はとても分別のあることではないし、現実味の薄い身勝手で子供じみたものだ。ラルビが言葉巧みにベアを誘惑したわけではない。ベアは最初からラルビなど相手にしていない。一時のアバンチュールを求めただけだろう。ラルビによって引き起こされた悲劇は、ベアとクリスチャンの夫婦がもともと持ち合わせていた危機が、事件をきっかけにして浮かび上がってきたものだと思う。ラルビは夫婦の間に起こる化学反応に対し、触媒として機能しているのかもしれない。触媒は化学反応を助けるだけだ。ラルビ自身は、この化学反応から何も学ばず、どんな成長もしないのである。

(原題:KARNAVAL)


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