ニコラ
(冬の少年)

1999/06/10 パシフィコ横浜
(第7回フランス映画祭横浜'99)
学校のスキー教室に送られた子供が妄想の世界を旅する。
子供を主人公にした異色の心理スリラー。by K. Hattori


 思春期の少年が持つ不安な心理をサスペンス風に描いた、一種のミステリー映画。学校のスキー教室に参加した12歳のニコラは、他の生徒が全員バスで現地に向かうにもかかわらず、心配性の父親が運転する車で現地に到着した。途中で事故の渋滞に巻き込まれたニコラは、ひとりだけ遅刻。しかも着替えなどの荷物を車のトランクから降ろし忘れるという大失態。クラスメートからパジャマを借りることにするが、ニコラにはおねしょ癖があって心配だ。内向的なニコラはなかなか周囲に馴染めず、自分の空想の世界に耽溺してゆく……。

 ニコラがどんどん悲観的な空想にふけり、最後は彼のどんな空想より悲惨な結末が待っているというオチになるのだが、少年の邪気にあふれた空想がグロテスクに展開してゆく場面はスリル満点。どこまでが現実で、どこからが空想なのかすぐにはわからないところが、この映画のおもしろさになっている。ニコラの空想の中には、子供なら誰でも1度ぐらいは必ず考える荒唐無稽なものが多い。父親が突然の事故で死んでしまい、自分が悲劇のヒーローになるとか、普段は目立たない自分が、暴漢たちから友人を守って意外なタフガイぶりを発揮するとか。こんな想像が想像の中にあるうちは、ある意味で罪がない。問題はそうした妄想を、さも現実であるかのように周囲に吹聴すること。世間ではそれを「虚言癖」と呼ぶ。

 映画の序盤は、独善的で過保護な両親がいかに子供をスポイルしてしまうかという問題を描いている。学校の教師に「絶対に事故を起こさない保証はあるのか」と詰め寄り、相手が「絶対などどこにもない」と言うと「自分の子供じゃないからあんなことが言える」と嫌味な毒づき方をする。子供がジェットコースターに乗りたいと言えば、嘘か本当かわからない恐怖譚で、子供に世の中の恐ろしさを植え付けてしまう。ニコラの父には、どうやら自殺癖があるらしい。自分の不安定な精神状態から生まれた妄想を、子供に押しつけているだけのようにも見える。でもニコラはそんな父親に反抗しない。彼は自分の父が無残な事故死を遂げたり、殺し屋に射殺すされることを夢想するだけだ。なんと消極的な反抗か。

 映画の後半では、子供を誘拐して殺すという殺人鬼が、スキー教室の子供たちを恐怖のどん底に陥れる。ニコラの想像力はこの事件に大いに刺激され、さらなる妄想を生み出してゆくのだ。その結果は、じつに皮肉なものになるのだが、ニコラにはそんな意識などない。

 僕がこの映画を観てすごいと思ったのは、スキー教室で子供たちを引率する教師が、子供に向かって「子供の死体が見つかった」と真実を報告すること。この段階で、教師たちには迷いがない。たとえ事実だとしても、それが子供たちにどんな影響を与えるかについて、あまり回りくどく考えたりしない。無神経なのではない。子供をある意味では大人扱いしているのだ。一方で子供を保護しつつ、一方では一人前の大人として扱う。こうした部分を観に、フランス個人主義の成熟を感じます。

(原題:LA CLASSE DE NEIGE)


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