コリン・マッケンジー
もうひとりのグリフィス

1999/06/09 メディアボックス試写室
今世紀初頭に活躍した幻の映画監督コリン・マッケンジー。
その実像を描くドキュメンタリー映画。面白い。by K. Hattori


 映画というメディアが誕生して100年。だがニュージーランドの映画界には、その半分の歴史もない。このドキュメンタリー映画の中で、俳優のサム・ニールは言う。「ニュージーランドの映画界は、僕たちが作ってきたんだ」と……。だが彼は、自分たちの国が今世紀初頭に生み出した偉大な映画作家、コリン・マッケンジーを知らなかった。マッケンジーはニュージーランド映画のパイオニアだったが、さまざまな歴史的不運から、彼の作品が現代まで残されることがなかったのだ。彼の名前は映画史の教科書の中に、わずかに名前が残されるのみ。残されたフィルムがあまりにも少なく、誰も正当な評価ができなかったのだ。日本映画の黎明期にも、同じようなことがたくさん起こっている。歴史的なフィルムが現代まで残っていることは、ごくまれなのだ。

 ところがつい最近になって、この幻の巨人コリン・マッケンジーの貴重なフィルムが大量に発見された。マッケンジーの未亡人が納屋に保管していたものを、その甥であるピーター・ジャクソン監督が偶然発見したのだ。錆びたフィルム缶は、まさに宝の山。フィルムはすぐに修復作業に回され、過去の映画史どころか、世界史までくつがえしかねない貴重な映像の数々がスクリーンによみがえった。この映画は、フィルムを発見したジャクソン監督らが製作した、偉大な先人コリン・マッケンジー再評価のためのドキュメンタリー映画だ。

 コリン・マッケンジーは少年時代から機械いじりが好きで、今世紀初頭には独学で映画撮影用のカメラを組み立てた。彼は記録映画専門の会社を作って大成功。そこで得た資金をもとに、フィルムの映像と音声をシンクロさせる技術を独自に開発したり、フィルムのカラー発色技術を研究したりした。やがて彼の野心は劇映画の分野に向かい、ニュージーランド映画史上最大のスペクタクル史劇『サロメ』の製作に着手。密林の中に巨大なセットを作り、数万人のエキストラを使って、キリスト時代のエルサレムを再現した。だが撮影終了間際に最愛の妻と死別。フィルムを債権者に差し押さえられる危険もあって、彼は映画を完成させることなく国外に脱出した。このため、5年の歳月をかけた大作『サロメ』は人目に触れることなく、幻の映画となってしまったのだ……。

 このドキュメンタリー映画で最大の山場は、ジャクソン監督らが『サロメ』撮影の舞台となったオープンセットの跡地を探して、密林を切り開いて行くところでしょう。この雰囲気がなぜか懐かしいと思ったら、20年ほど前に一世を風靡した「川口浩探検隊シリーズ」だった。無事にセットを発見し、その中から膨大な小道具と共に、ついに幻の大作『サロメ』の現像済みフィルムが発見されるくだりは大いに盛り上がる。大の大人が集まって、こんなバカをやるすごさ。この映画の素晴らしいところは、最後まで一言も「じつは全部フィクションです」と言わずにドキュメンタリーで押し通すところ。日本でこれをドキュメンタリーとして配給するパンドラも偉い!

(原題:Forgotten Silver)


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