悪魔のくちづけ

1999/06/01 映画美学校試写室
ユアン・マクレガー主演の時代劇サスペンスだが……。
話の焦点が定まらないのが難点。by K. Hattori


 ユアン・マクレガーが17世紀末の庭園デザイナーを演じるサスペンスドラマ。つまらない映画ではないのだが、物語の焦点がどこにあるのか絞り切れていないため、やや中途半端な作品になっているのが残念。若い庭園デザイナーの野心を描くのか、仕事を依頼したスミザース家にまつわる陰謀を描くのか、一家の一人娘テアとのロマンスが中心なのか、どうもはっきりしない。ひとつの映画に複数のテーマやモチーフが持ち込まれても構わないが、物語を先に進めてゆくには、その場その場で中心になるテーマがあった方がいいと思う。Aというテーマで話を進めたときにはBというテーマが脇に回って物語の枷になり、Bが中心になったときにはCというテーマが現れて葛藤を生み出す。そうすることで、物語の中のテーマをひとつずつ処理して行くことができるし、結果として最後まで残る映画のテーマが浮かび上がってくる。この映画では複数のテーマを同時進行させようとして、結局はそれぞれのテーマの持つ力を分散させてしまった。

 スミザース家を訪れた庭園デザイナーのミニア・クロームが、スミザース家の妻ジュリアナの従兄弟フィッツモリスから何らかの圧力を加えられて、一家を破滅に追いやって行くというのが物語の大筋。クロームがなぜフィッツモリスの言いなりになっているのかが、この映画の前半を引っ張って行くミステリーになる。若いクロームは、屋敷の中で必ずしも歓迎されているわけではない。古くからの庭師は新参者がチヤホヤされるのを快く思わないし、娘のテアはお気に入りの荒れ野や森が切り開かれることに心の痛みを感じている。こうした人間関係の相克も、もっとしっかり描いてほしかった。誰が敵で誰が味方なのか。味方と思われたものが、じつは敵なのではないか。そこを明確にすると、クロームが屋敷の中で孤立無援であることがよくわかるはずだし、その中でも庭園建設に情熱を燃やすクロームの野心が強く浮き彫りにされてくる。この映画では彼が本気で庭園建設に打ち込んでいるのか、それとも陰謀の片棒を担いでスミザース家を破産させることが目的なのか、観客の側にダイレクトに気持ちが伝わってこない。

 タイトルになっている『悪魔のくちづけ』というのは、クロームが作っている庭園の中で、森に向かって大きく突き出している小さな庭の名前。“Serpent”には「悪魔」という意味も確かにあるが、本来の意味は「蛇」だ。蛇は人間に従属しない神秘的な力のシンボル。映画の中ではこの小さな庭が、テアの愛する野生の森と、クロームの作り出した人工的な庭園空間の橋渡しになる。テアはこの庭を通じて大地の力を呼び込み、完成したばかりの庭をメチャメチャにしてしまうし、庭を潰して造られた巨大なピラミッドは、森と人間を遮断して一家を破滅に導いてしまう。『悪魔のくちづけ』という邦題では、そのあたりの意味が少し通じにくくなってしまった。もっとも『蛇のくちづけ』にしたって意味は通じないので、これは難しいタイトルなのだが……。

(原題:The Serpent's Kiss)


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