アムス→シベリア

1999/05/31 シネカノン試写室
アムステルダムでナンパ稼業に励む若い男たちの物語。
ヤバさと楽しさは表裏一体だ。by K. Hattori


 アムステルダムというのは不思議な町だ。売春があそこまであからさまに公認されている都市というのは世界に類を見ないだろうし、マリファナなどのソフトドラッグもおとがめなしというのも面白い。しかもそれが付近から隔離された一画でコソコソ行われているのではなく、繁華街のすぐ裏通りで堂々と行われている。観光客や買い物客でごった返す百貨店の横から路地を入って行けば、そこは青と赤のネオンがきらめく飾り窓地帯。ありとあらゆる人種のうら若き女性たち(そうでない人もいる)が、日本人の感覚からすると驚くほどの低価格でセックス・サービスを提供しているのだ。「日本は映画料金が高いぞ!」と怒っている方々に申し上げたい。日本はサービス業全体の値段がバカ高いのです。僕はアムスの飾り窓地帯でそれを悟り、それからは映画料金についてグダグダ文句を言うのをやめました。……と、この話は今回の映画とはまったく関係がないのです。

 アムステルダムは'60年代のヒッピーカルチャーがそのまま政府公認になってしまったような町で、世界中の若者たちがイスラム教徒のメッカ巡礼のようにこの町に押し寄せてくる。当然、それを食い物にしようという悪い連中もいるわけで……。この映画の主人公たちも、そんな悪党のお仲間です。ヒューホとゴーフは夕方から街に繰り出し、ツーリストの女性をナンパしては相手のホテルで一発キメ、明け方になるとパスポートの写真ページと財布のお金を失敬するという「ビジネス」をしている。お金は生活のための資金で、パスポートの写真は記念すべき戦利品です。ヒューホは女性を食い物にすることに対し、何の良心のとがも感じない冷血漢。相棒のゴーフは、だました女性にすぐにホレてしまう甘チャン坊や。ある日、いつもと同じように街でナンパした女の子の部屋にヒューホがしけ込んでいると、ゴーフはその女の子の友だちララを自分たちのアパートに連れてきてしまう。朝になって部屋に戻ったヒューホは、そこにララがいるのを見てびっくり。それでもこの日から、3人の奇妙な同居生活が始まります。

 ララはやせっぽちで目ばかりギョロギョロさせて、しかも無愛想な女性。およそ「かわいい女の子」とは言えないのですが、それでもゴーフは彼女に夢中。シベリアから来たというララは、ゴーフとヒューホの間で自由気ままに振る舞う。この映画の中では、人間の持つ「匿名性」と「自由」との関係が、ひとつのテーマになっているように思います。「旅の恥はかき捨て」というのは、日本人に限ったことではない。アムスを訪れる女の子たちだって、いつもセックスに対して奔放なわけではないでしょう。旅に出ているという開放感が、彼女たちを無警戒にしているのです。ララはもう少し用心深いのですが、それでも自分自身の匿名性だけはしっかりと確保している。その匿名性の仮面がはがされたとき、この映画は劇的なクライマックスに突入します。僕はこの結末が、ちょっとセンチメンタルすぎたと思いますけどね。

(原題:SIBERIA)


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