マイ・ネーム・イズ・ジョー

1999/05/06 シネカノン試写室
イギリスの小さな町で暮らす普通の人々を描いたケン・ローチの最新作。
労働者階級の生活を丁寧に描いて好感が持てる。by K. Hattori


 『大地と自由』『カルラの歌』と、ここ最近は海外ロケの大作が続いていたケン・ローチ監督の最新作。ケン・ローチは『カルラの歌』のイギリス部分をグラスゴーで撮影し、この町が大いに気に入って次の作品の舞台にした。僕も『カルラの歌』はイギリス部分の方が生き生きしているように感じるので、今回の映画には大満足。貧しい労働者階級の生活ぶりを丹念に描きながら、そこにある喜怒哀楽を丁寧にすくい上げ、惨めな貧乏哀歌にしていないところがいい。どんなに生活が貧しかろうと、過去にどんな問題を抱えていようと、毎日の生活の中にはそれぞれの喜びや悲しみがある。我々日本人とは生活習慣も境遇も違う彼らの暮らしぶりですが、ここで描かれている感情に共感できるからこそ、この映画は普遍的な物語になっているのだと思う。

 物語の中心は、中年男女のラブストーリー。元アルコール中毒患者だが、今はきっぱり断酒に成功した中年男ジョー。彼はアルバイトと失業手当で細々と暮らしている身の上だが、地元のサッカーチームで監督をすることに無上の喜びを感じている。そんな彼が出会ったのが、健康管理センター職員のセーラ。ふたりはごく自然に親しくなり、やがて恋人同士になる。演じているのはピーター・ミュランとルイーズ・グッドール。ふたりとも、美男美女ではないのがいい。これがハリウッド映画なら、スターを配役して、貧しいながらもちょっと気取った中年カップルに仕立てたことでしょう。例えばF・マーリー・エイブラハムとキャシー・ベイツが舞台で演じていた芝居を、アル・パチーノとミシェル・ファイファー主演で『恋のためらい/フランキーとジョニー』として映画化したように……。それがハリウッド流なのです。

 この映画で描かれているのは、人間の幸福がいかに周囲の人間関係に支えられているかという、ごく当たり前の事実です。主人公ジョーは、自分の愛する女を酔って傷つけたとき、酒を断つことを誓う。酒がなくても、彼は仲間たちとの生活の中に喜びを見いだせるのです。セーラというガールフレンドもできて、ジョーはささやかながら幸福の絶頂。しかしある事件がきっかけになって人間関係が損なわれたとき、ジョーは再び酒に手を出してしまう……。支えてくれる人がいないと、人間はもろくて弱い存在です。それは優柔不断に見えるリーアムも同じ。彼が借金と麻薬でボロボロになった妻を守ろうとするのは、彼女との関係を断ち切ることができないからです。妻や子供ときれいに別れてしまえば話は簡単だし、余計なトラブルを引き受ける必要もないのかもしれない。でも、彼は自分の幸福が、トラブルメーカーである妻との関係なしには成立しないことを知っている。

 ここにあるのは、弱い者同士がもたれ合うように生きる愛情関係。互いに依存しあい、時には互いの足を引っ張り合うわずらわしさを感じながらも、離れられない関係です。この映画は、そんな卑小な人間たちの絆をじつに優しい目で描いているのです。

(原題:MY NAME IS JOE)


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