クアトロ・ディアス

1999/04/09 シネカノン試写室
1969年にブラジルで実際に起きたアメリカ大使誘拐事件。
再現ドラマで終わらない青春映画の傑作。by K. Hattori


 1969年9月4日、ブラジルのリオデジャネイロで起きたアメリカ大使誘拐事件を、当時の犯人のひとりが書いた自伝小説をもとに映画化。監督は『N. Y. 殺人捜査線』のブルーノ・バレット。原作者のフェルナンド・ガベイラは、この映画の事件の後でスウェーデンに亡命し、そこでこの映画の原作を書き上げた。原作は自伝的な小説で、実際の事件そのものではない。映画ではそれをさらに脚色し、単なる歴史実話ではない、現代にも通じる人間ドラマに仕上げている。

 ブラジルは1964年に軍事クーデターが起き、翌年には政党が解散されて完全な軍政がひかれた。市民たちの不満はしばしば街頭でのデモという形で表面に現れたが、政府の徹底した報道管制によって、そうした運動が全国に波及することも、海外に報道されることもなかった。「かくなる上は暴力革命しかない!」と考えた学生たちは、急ごしらえのゲリラ組織を作り、銀行を襲撃して資金を調達する。だが銀行で客や行員に政治演説をしても、そんなことはニュースで一言も報道してくれない。主人公フェルディナンドは、自分たちの活動と政治目的を電波に乗せるためには、海外の政府やマスコミを巻き込まなければならないと考える。例えば、アメリカ大使を誘拐すれば、報道管制の網を突破できる……。

 自分たちの国を愛し、非民主的な軍政を打破するために行動する、理想に燃える若者たち。この映画は彼らを主人公にしているものの、彼らの信じる正義を歴史の中で相対化していく公平さがある。学生たちの理想は、当時世界を席巻していた共産主義です。彼らは軍政を打破して、共産革命を起こそうとしている。しかし、共産主義が人間を幸福にしないことは、後の歴史が立証しています。学生たちの正義は、共産主義を理想とする誤った正義なのです。学生たちを捕らえて拷問する軍の幹部は、純粋な若者たちの熱意に打たれ、自分の仕事に疑問と嫌悪感を持ちながらも、彼らの理想を危険すぎると感じている。その直感はじつに正しい。学生たちの求める理想社会は、決して実現させてはならないのです。しかし何かがおかしい。この映画の中では、誘拐事件の犯人たちも、それを追う軍の側も共に間違っている。しかしこの時代に、正しい行動とは何だったのだろうか? 彼らはその時代に精一杯生きて、共に敗北してしまうのです。

 映画は彼らが誘拐テロに向かうまでの経緯、誘拐発生から人質解放までの4日間(クアトロ・ディアス)、犯人逮捕、海外への亡命までを描きます。人質事件の犯人たちが海外脱出のため空港に集まった場面で、僕は切なくて涙が出そうになった。世間知らずの子供だった若者たちが、刑務所の中で一人前の面構えにさせられてしまった事実から、拷問の凄まじさが伝わってくるのです。彼らは最後にVサインをして飛び立って行く。でも彼らはいったい、何と戦っていたのだろうか。これは勝利なんだろうか。勝利だとしたら、なんと苦い勝利だろう。アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品。傑作です。

(英題:FOURDAY IN SEPTEMBER)


ホームページ
ホームページへ