あの、夏の日
とんでろ じいちゃん

1999/03/25 メディアボックス試写室
小学生の孫と祖父が、夏休みに出会った不思議な体験。
大林宣彦監督の新・尾道三部作完結編。by K. Hattori


 大林宣彦監督の新作を観るときは、いつもドキドキしてしまう。本人がどれだけ意識しているのかは知りませんが、今の日本映画界で、大林監督ほどアタリとハズレの差が大きい監督はいないでしょう。例えば昨年の作品でも『風の歌が聴きたい』は大アタリで、『SADA』は大ハズレ。作風はどの映画も同じだし、どちらも手を抜いたようには見えないのに、ダメな時はまったくダメで、イイときはとてつもなくイイのが大林作品の魅力かもしれません。さて今回の映画ですが、これはタイトルからして子供向けの作品。大林監督の子供向け映画には、かつて『水の旅人/侍KIDS』という大ハズレがあったので、今回は観る前からすごく心配だった。昨年『風の歌が聴きたい』という大傑作を撮ってしまった後だけに、今回は大いなる失敗作を撮る順番なのではないか。そんな不安が、このタイトルにはつきまとう。

 しかし映画が始まった瞬間に、この不安は消し飛んだ。最近の映画には珍しい、カラー・スタンダード画面。『あの、夏の日』というタイトルが出ると同時に、タイトルを連呼するテーマ曲がかぶるという、何ともわかりやすい展開。映画は夏休みを目前に控えた、東京郊外の小学校から始まる。ここで、登場人物がカメラ目線で自己紹介や物語の解説をするという、大林監督作ではしばしば登場するテクニックが披露される。あとはもう、大林監督の手練手管に引き回されて、2時間がアッという間。これは間違いなく、大アタリの部類です。

 今回の映画は、大林監督が『ふたり』『あした』に次いで撮った、新・尾道三部作の完結編にあたる作品だという。女子高生の姉妹を主人公にした『ふたり』、年齢も性別も違う人々が集う群衆劇『あした』の後が、小学生が主人公のキッズ・ムービー。だがこの新・三部作は、すべてが「死者との対話」という同じテーマに貫かれている。映画のタッチはそれぞれ違っても、全体に漂うノスタルジーとファンタジーは同じ大林調だ。原作は山中恒の「とんでろ じいちゃん」。山中恒と言えば、大林監督の『転校生』『さびしんぼう』の原作者だ。

 小学生の孫が祖父の少年時代を追体験する物語。厳格な祖父を演じているのは、大ベテランの小林桂樹。ボケかけて奇異な言動が目立つ祖父は、じつは不思議な力で現在と過去を行き来している。目をつぶって呪文を唱えると、突如として目の前に広がる昭和初期の尾道……。

 少年時代の祖父が、肺病の少女とつかの間の交流を持つ場面あたりから、僕は感激モードに突入。少女の部屋の下に少年が駆け寄ると、部屋の中の少女と視線が交差する。そこに蓄音機の音がかぶさると、理屈ぬきに感動してしまうのだ。やがて祖父が倒れ、病室で祖父の口ずさむ歌を孫が引き取って歌い継ぐあたりになると、ハンカチで拭っても拭っても、涙が後から後からこぼれ落ちて止まらなくなってしまった。たぶんこれが、今年に入って一番泣かされてしまった映画だ。間違いなく傑作。大林ファンならずとも、観なければいけない映画です。


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