チャパクア

1999/03/18 シネカノン試写室
アルコールとドラッグで麻痺した頭が思い描く幻想を映像化。
夜毎見る夢にもっとも近い映像体験。by K. Hattori


 1966年にヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した、ドラッグ映画の決定版。製作・監督・脚本・主演はコンラッド・ルークス。彼はこの作品の後にヘルマン・ヘッセ原作の『シッダールタ』を撮り、そのまま映画界を引退してしまった不思議な人物。『チャパクア』も日本では今回が初公開という「幻のカルト・ムービー」らしいのですが、確かにこれはカルトとしかいいようのない作品です。上映時間は1時間22分ですが、ストーリーを追うことはきわめて困難。ドラッグとアルコールの依存症を治療しようと、サナトリウムに入院した男が主人公。映画はその男が禁断症状の中で見る「幻覚」を映像化しているのだ。モチーフが「幻覚」だから、そこには明確なストーリー・ラインなど存在しません。ラヴィ・シャンカールの気だるいシタールの音色にあわせ、スクリーンの上で目まぐるしく映像がコラージュされて行くだけの映画です。映像から何かを読み取ろうと、この映画をじっと観続けるのはきわめて困難です。

 僕は映画の序盤で早くも眠くなり、最初の30分ほどはウトウトしてしまいました。「眠ってはいかん!」と決心して周囲を見渡せば、両隣の人もスヤスヤ眠っていたというオチがつくんですが……。でも、この映画を観て眠くなるのは当然です。この映画が描いているものは、幻想と現実の間を目まぐるしく行き来する感覚。これは映画を観ながらウトウトする感覚に、非常に似ているのです。眠さで意識がモウロウとしてくると、映画の中のひとつの場面がきっかけになって、頭の中で別の方向に連想が脱線します。集中力が落ちて、意識がスクリーン上の映画から離れてしまうのです。この映画では、こうした意識の脱線を、映画自体が意図的に行っています。シークエンスを不意にカットして別のシークエンスを挿入したり、画面がモノクロから急にカラーになったり、映像に別の映像を二重写しにしたりする。

 映画のベースはモノクロですが、これがサイレント映画のようにシーンごとに着色してあったりします。幻覚シーンになると、画面が急にカラーになります。僕は最初、「モノクロ=現実の世界」「カラー=幻想の世界」だと思っていたのですが、どうもそう単純ではないらしい。映画の中には、モノクロの幻想シーンもあるのです。

 こうした処理は、監督本人のドラッグ体験がもとになっているのかもしれませんが、一般の人が一番感じるのは、やはり夢との類似性でしょう。夢もほとんどの場合パートカラーだそうですし、シーンとシーンのつながりに合理的な整合性はありません。場所がどんどん移り変わったり、自分自身の姿を外部から見ているような感覚を味わったりもします。映画のラストシーンで、主人公がサナトリウムから出て行くのを、主人公自身が見送る場面があります。このあたりは、まさに夢の中で味わったことのあるような感覚でした。いろいろな映画に「夢のシーン」は出てきますが、この映画ほどその実態に迫った作品を、今までに見たことがありません。

(原題:Chappaqua)


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