アポロンの地獄

1999/03/09 映画美学校試写室
ソフォクレスの古典悲劇をパゾリーニが映画化。
自伝的要素がかなりあると思う。by K. Hattori


 紀元前5世紀に活躍したギリシャの詩人ソフォクレスの代表作「オイディプス王」を、現代社会との対比の中で描こうとするパゾリーニの意欲作。オイディプスの物語は、子供が同性の親を憎み、異性の親を愛する「エディプス・コンプレックス」の語源にもなった有名な伝説だが、この映画ではむしろ、男児をもうけた両親の内、父親が妻を奪われることを恐れて子を憎悪するという、まったく正反対の方向から物語を始めているのがユニーク。僕はパゾリーニの生い立ちや生涯についてはまったく不勉強だが、彼が『奇跡の丘』で実母スザンナ・パゾリーニに聖母マリアを演じさせていることから、彼がかなりのマザコンであったことは想像に難くない。こうした母親への愛情は、ひょっとしたら父親に対する憎悪の裏返しだったのかもしれない。

 ソフォクレスの原作は、テーベの町に疫病が蔓延し、知恵深き王オイディプスがその原因を究明しようとするところから始まります。ところが『アポロンの地獄』は、主人公オイディプス出生から、テーベの王になるまでの経緯をすべて描いてしまっている。ここでは原作にある謎解きの要素は破棄され、親による子捨て(子殺し)が巡り巡って子供を不幸に陥れるという部分が強調されているのだ。映画は第二次大戦前のイタリアらしき場所で始まり、生まれたばかりの息子を憎悪する父親が、彼を疎ましく思う表情が強調される。そこから場面は古代ギリシャに切り替わり、小さな男児が捨てられる場面につながる。この映画では、なぜ子供が捨てられなければならないのかという理由があえて曖昧にされている。原作にあるアポロンの神託は、サイレント映画の台詞字幕のように処理されるだけだ。ここで観客は、この子捨てが神託によるものではなく、父親の息子に対する嫉妬が原因だという印象を強く受けるだろう。若く美しい妻の寵愛を一身に受ける我が子が、いずれたくましく成長して自分を乗り越えて行くことを恐れる父親像だ。

 この導入部は論旨が明快なのだが、結末部分がよくわからない。原作では自らの出生の秘密をすべて知ったオイディプスが我が手で両目をえぐり、妻であり母であるイオカステとの間に生まれた娘アンティゴネに手を引かれながら放浪の旅に出る。ところが『アポロンの地獄』では、オイディプスに子供がいないのだ。彼は側に控える若い男に手を引かれて、テーベの町を去って行く。このあたりは、パゾリーニが同性愛者だったことと関係があるのかもしれない。父親の虐待で生きる方向を失ったオイディプスが若い男の保護下で生きている部分に、パゾリーニは自らの姿を重ね合わせたのだろうか。

 オイディプスが妻イオカステを実母と悟った後も、それを打ち消すかのように彼女を抱く場面は残酷だ。妻としてのイオカステを抱きながらも、彼は「母さん」と叫ばずにいられない。イオカステもまた、自らの身に降りかかった運命を否定するかのように遊び狂い、次の瞬間には死を選ぶ。この場面が一番ショッキングでした。

(原題:EDIPO RE)


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