愛のトリートメント

1998/11/16 メディアボックス試写室
『マーズ・アタック!』の脚本家ジョナサン・ジェイムズの初監督作品。
娼館の中で男たちの幻想がエスカレートする。by K. Hattori


 『マーズ・アタック!』の脚本家ジョナサン・ジェイムズの初監督作品で、もちろん脚本も本人が書いている。ロサンゼルスにある高級売春クラブを舞台に、3人の娼婦と客たちが繰り広げるドタバタを描いたコメディだ。娼館が舞台といっても、セクシーさやエロチックさとは無縁。この映画からは、セックスの生々しさはまったく感じられない。あるのはセックスについてのイメージだけだが、そのイメージをいくら追求しても、本物の肉体には永久に到達しない。これはかなり歪んだセックス観なのだが、現代人のセックスを象徴的に描いているとも言える。ここで繰り返し描かれているのは、女たちのコスチュームであり、どういう状況でセックスするかという場面設定なのだ。男たちは女たちの肉体に、自分のイメージ(=幻想)を投影して夢中になる。

 ジュリー・デルピー主演映画のような売り方になっているが(チラシの絵柄はまるで『ファングルフ』)、デルピー嬢は3人の娼婦のひとりフランチェスカを演じているだけ。エピソードは3人の娼婦で分け合っているので、デルピーのファンには少々物足りないかもしれない。ちなみに残るふたりの娼婦は、ジョージナ・ケイツとパメラ・ギドリーが演じている。娼婦たちの性格や言動は三者三様で面白いが、この映画が「男の幻想」を描いている以上、この映画の本当の主人公は娼館にたむろする男たちだと言えるだろう。幻想を売り物にする娼館の主人トニーをはじめ、ロリコンの男、近親相姦願望の銀行員、結婚した娘に欲情する父親、サディスト、切手を自慢するだけの老人、芸術家気取りの写真家など、さまざまな男たちが娼館に夢を買いに来る。その極めつけは、シーモア・カッセル扮する怪しげな市長だ。

 ジョナサン・ジェイムズの脚本は『マーズ・アタック!』と同じノリで、男たちの狂態と女たちのとぼけた対応を描写して行く。物語をひとりの主人公が引っ張るのではなく、エキセントリックな人物たちが集団でワサワサと物語を押し進めて行くのも『マーズ・アタック!』と同じだ。ただし、この映画に『マーズ・アタック!』と同じ面白さを求めてはいけない。『マーズ・アタック!』は脚本もさることながら、ティム・バートンという傑出した監督がいてこそ成立した作品なのだ。僕はこの『愛のトリートメント』という映画に、今ひとつ勢いが足りないと思うのだが、これもティム・バートンが監督すればもっと毒々しい美しさに満ちた映画になっただろう。この映画、脚本は伸びやかで楽しいのだが、演出は小さくまとまりすぎている。これがジェイムズ監督のデビュー作だから仕方ないのだが、次回作以降はもっと面白い映画を作る人だと思う。

 邦題を見るとまるで美容院の話のようだが、原題にある「treat」を辞書で引くと「もてなし」「治療」「満足」などの意味があるようだ。舞台は娼館なので「おもてなし」ぐらいの意味だろうか。髪の毛のトリートメントは、「手当をする」という別の意味。悪い邦題です。

(原題:The Treat)


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