赤い靴

1998/11/08 渋谷公会堂(英国映画祭)
1948年に製作されたバレエ映画の古典をニュープリントで上映。
幻想的な『赤い靴』のバレエは見ものだ。by K. Hattori


 この映画の上映前に、同じマイケル・パウエル監督が1932年に撮った『ヒズ・ロードシップ(His Lordship)』という映画が上映されたのだが、半分以上寝てしまったのでコメントは避ける。序盤と終盤だけ見たが、いかにも低予算の安っぽいミュージカル・コメディだった。長らくフィルムが失われていて、最近になって発見されたという「幻のフィルム」だが、これは「幻のフィルムだった」という肩書き以外に、あまり価値はないように思う。特に面白くもないし、後年のパウエル監督の片鱗も見あたらない。

 さて『赤い靴』だが、これはよく知られたバレエ映画の古典で、僕も以前に「テレビ名画劇場」のような番組で2回ほど見たことがある。物語は有名なバレエ団に入ったバレリーナと新進作曲家のサクセス・ストーリーに、ふたりのロマンス、芸術の持つ悪魔的魅力の虜になるヒロインの悲劇をからめたもの。前半の雰囲気は『四十二番街』のバレエ版、後半では、死ぬまで踊ることを止められない「赤い靴」の童話と重ね合わせるように、ヒロインの悲劇を描き出して行く。

 最大の見どころは、劇中で上演される新作バレエ『赤い靴』の場面。今回上映されたフィルムは「ニュープリント版」と銘打たれているが、実際にはオリジナルのフィルム自体を徹底的に修復しているらしく、細かな傷や色むらなども完全に取り払われている。ピカピカのテクニカラーで大画面一杯に繰り広げられる幻想的なバレエシーンは、今観ても(文字通り)まったく色あせていないのです。この場面はバレエの舞台を映像化しているはずなんですが、幕が開いて舞台が始まるや、ステージのサイズは大きくなるし、各種の編集技術や特撮技術を使って、映画ならではのステージ表現に挑んでいる。(こうした点も『四十二番街』と同じ。)オプチカル合成をたっぷり使った幻想シーンは、バレエというよりミュージカル映画のノリに近いと思います。

 ヒロインがバレエへの情熱と恋人への愛に引き裂かれて苦悩するクライマックスは、今観るとナンセンスに感じてしまう部分でもある。作曲家である恋人が芸術家として成功したのだから、彼女がバレエ団に復帰したって構わないと思うけど……。恋人はなぜ、彼女に舞台を捨てさせようとするのだろうか。バレエ団の代表が、彼に行ったひどい仕打ちを、いつまでも恨みに思っているのはわかる。しかしヒロインの芸術家としての野心までスポイルする権利は、彼にはないはずだ。

 結局この場面は、彼女が夫に黙ってバレエ団に復帰したことが責められている。彼女は作曲家である夫を支えて、家庭の中に埋没して行くことを望まれている。50年前の映画だから、男女の関係は今よりずっと保守的なのです。ヒロインは「家庭に入って夫につくす妻としての幸福」を選ぶか、「すべてを捨てて芸術家として生きるか」の選択しか許されていない。そんなわけで、ヒロインの苦悩は今の観客に伝わりにくくなっている。

(原題:The Red Shoes (New Printed Version))


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