輝きの海

1998/10/19 TCC試写室
コンラッドの小説を映画化した恋愛映画だができはイマイチ。
脚本の構成に失敗したのは痛い。by K. Hattori


 ジョセフ・コンラッドの短編小説「エイミー・フォスター」を、『迷子の大人たち』『3人のエンジェル』のビーバン・キドロンが映画化。主人公のエイミーを『チェーン・リアクション』『アイ ウォント ユー』のレイチェル・ワイズが演じ、彼女と恋に落ちるロシア人漂着者ヤンコを『恋人たちのアパルトマン』『ザ・クロウ』のヴァンサン・ペレーズが演じている。ふたりの恋を温かく見守る車椅子の婦人ミス・スウォファーを演じているのは、アカデミー女優のキャシー・ベイツ。ヤンコの後ろ盾となるケネディ医師を演じているのは、ベテランのイアン・マッケラン。音楽はジョン・バリー。

 映画は子供を連れて岸壁に立つエイミーの姿から始まり、病気で寝込んでいるミス・スウォファーに、ケネディ医師が彼の目から見たエイミーとヤンコの物語をする展開になります。ケネディ医師は、どこかエイミーに対してよそよそしい。その理由は何なのか。これが映画全体のミステリーになって、観客の興味を引きつけます。こうした構成は、おそらく原作を映画用に脚色する際に持ち込まれたものでしょう。構成としては、高価な宝石の行方がミステリーの鍵になった『タイタニック』と同じです。この映画ではケネディ医師がエイミーを疎んじる理由が、ミステリーの鍵になっている。

 物語はなかなか面白いし感動的なのですが、僕はこの回想形式が、映画の結末でうまく機能していなかったことを惜しみます。ケネディ医師がエイミーを憎む理由はわかるのですが、その真相までケネディ医師の回想として描かれるのでは整合性に欠ける。クライマックスの嵐の場面は、ケネディ医師の一人称に近い演出にして事件の真相を彼の目から隠し、その後ミス・スウォファーの話として、ケネディ医師の知らなかった事件の真相を明らかにした方がいい。(最近の映画だと『キャラクター/孤独な人の肖像』がこの方式だった。もともとは黒澤の『羅生門』がオリジナルかな。)また、ケネディ医師とエイミーの和解シーンを際だたせるために、映画の序盤で両者の冷たい関係をもっと強調する必要があったし、エイミーをもっと冷たい女として描いておいた方が、最後の涙との落差が大きくなって効果的だったと思う。

 エイミーの両親と彼女の出自に関するスキャンダルについても、真相が知らされたときのエイミーのショックが、いまひとつピンと来なかった。これはエイミーの家族にある重苦しい雰囲気や、母親のエイミーに対する憎悪、父親の他人行儀な様子だけをネチネチ描いて、観客に「何かあるぞ」と思わせておいてから、「じつはお前は……」とくるのが定石だと思う。ナレーションで最初から「スキャンダル」を連発すると、実体がわかったときのショックが少なくなってしまう。

 脚本の構成に難があることは先に書いたとおりだが、演出の切れ味も今ひとつ冴えたところがない。嵐の晩のすれ違いなどは、もっとドラマチックに描くべきではなかったろうか。話は面白いけど、いま一歩の印象だ。

(原題:SWEPT FROM THE SEA)


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