モーテルカクタス

1998/10/09 TCC試写室
ラブホテルの1室を舞台にした4話オムニバスのラブストーリー。
各エピソードが中途半端で少し物足りない。by K. Hattori


 韓国の新人監督パク・キヨンが、香港からカメラマンのクリストファー・ドイルを招いて作った4話オムニバスのラブストーリー。舞台は歓楽街にあるラブホテル「モーテルカクタス」の407号室。ある者はそこで愛を語り、ある者はそこで絶望的な断絶を再確認する。つまらない映画ではないが、特に面白い映画でもないのが残念。人物同士の関係が把握しづらく、時間の前後関係もわかりにくい。プレス資料を読むと、これは同じホテルの部屋の「改装前」「改装後」を交互に描いているのだそうだが、そんなことは映画を観ていてもちっともわからない。映画の後に資料を読んで初めて腑に落ちるという点では、『萌の朱雀』と同じぐらい説明不足な映画だ。この映画がなんとか観ていられるのは、クリストファー・ドイルのトリッキーな撮影効果によるところが大きい。撮影が普通だったら、たぶん退屈しただろう。

 登場する俳優たちが韓国でどの程度の知名度があるのかは知らないが、ある程度俳優に馴染みがあれば、各人物の区別が明快になって、多少は内容がつかみやすいのかもしれない。僕は第1話と第3話の主演女優が同じだったことにすら気づかず、第3話と第4話の主演男優が同じだったことにも気づかなかった。「似た人だなぁ」ぐらいには思っても、話にはそれぞれつながりがないので、本当に同一人物なのかはわからないままだった。人物のつながりで見ると、第1話と第3話が女優でつながり、第3話と第4話が男優でつながって、第2話だけが孤立している形。こうした構成にどんな意味があるのかも、僕にはちょっとわからない。

 各エピソードとも、物語はホテルの部屋の中だけで進行し、それ以外の場面は台詞の端々から想像するしかない。各登場人物が抱えている生活や気持ちを、ホテルの一室を使って一定時間切り取るというコンセプトだ。ところがこうして切り取られた物語の断片が、どれも圧倒的に情報不足なのだ。効果的な省略は描かれていない背後まで観客に感じさせることで、映画に描ききれない大きな世界を作り上げることができる。だが情報不足で背後が想像できなくなってしまうと、物語は切り取られた部分で完結して、かえって小さくまとまってしまう。省略するにも限度というものがある。小さな刺身一切れから巨大なマグロ1匹を想像できるのは、我々が「マグロ」をあらかじめ知っているからだ。そうした情報が全くないところで刺身を口に入れても、それがどんな魚のどの部分なのかを想像することは不可能だろう。

 同じようにホテルを舞台にしたオムニバス映画でも、『ミステリー・トレイン』や『フォー・ルームス』の方がはるかに面白いのは、そこに登場する各エピソードが、短編映画として完成しているからだ。『モーテルカクタス』の各エピソードは、前後につなげて行くというアイデアに甘えて、どれも未完成のまま放置されている。フルコースのディナーで、どの皿も半分しか食べていないうちに下げられてしまうような物足りなさを感じた。

(英題:MOTEL CACTUS)


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