鯨捕りの海

1998/10/01 ぴあ試写室
今も細々と続く日本の沿岸捕鯨を記録したドキュメンタリー。
クジラと人間との関わりがテーマだ。by K. Hattori


 IWC(国際捕鯨委員会)の取り決めによって、大規模な商業捕鯨は現在国際的に禁じられているのはご存じの通り。しかしこの取り決めに縛られない種類のクジラや、近海での沿岸捕鯨は、現在も細々と続けられている。しかしその前途は必ずしも明るくない。IWCの設定した全面禁止がいつ解けるかは誰にもわからないし、むしろこの先解禁される可能性は限りなく少ないと考えた方がよさそうだ。調査の結果、資源としてのクジラは増えていることが証明されているのだが、「クジラは可愛い」「クジラなんて食べなくても」という国内外の声が圧倒的で、クジラを食べたいなどと言えば悪魔か野蛮人扱いされかねない空気ができあがりつつある。

 この映画は、そんな中で今も捕鯨を続けている漁師たちの姿を記録した長編ドキュメンタリー映画。これを観ると、漁師たちが捕鯨という仕事にいかに誇りを持っているか、一般にはあまり見かけることのない鯨肉によって食卓が彩られ、食文化や地域社会が支えられている面のあることが見えてくる。また、現在の捕鯨がいかに注意深い資源管理の下で行われているかも、こと細かく描かれている。現在の捕鯨船では、海でクジラの姿を見ればその数や位置を報告し、クジラをとればその種類や大きさを報告し、サンプルの標本をとる。こんな面倒くさい作業をしているのも、それによって資源としてのクジラの実態を解明しようとしているからだ。

 大型捕鯨船を使った商用捕鯨は禁止されたものの、そのノウハウを使った調査捕鯨は現在も行われている。それを「実質的な商用捕鯨の隠れ蓑」と評する人々も世界中に数多くいる。しかしこの映画を観れば、そうした批判がいかに的外れなものであるかがよくわかるはずだ。とったクジラの肉が市場に流れるのは、調査捕鯨で得られたサンプルの残りを有効活用するために他ならない。少なくとも、この映画を観る限りはそう思える。

 かつて遠洋の大型捕鯨船に乗ることは、海にあこがれる少年たちの羨望の的だった。中でも1本の銛でクジラと対峙する砲手は、捕鯨船の中でもトップの地位にある。この映画には、IWCの決めた捕鯨禁止によって船を下りざるをえなかった元砲手が何人か登場するが、彼らが捕鯨の話をするときの表情は生き生きと輝き、捕鯨禁止措置について話が及ぶと、その表情がみるみる曇ってしまうのが印象的。彼らは自らの意志とは別のところで、職を離れることを余儀なくされてしまったのだ。現場で直接クジラを見てきた彼らに言わせれば、捕鯨の対象となっているクジラの数は増えている。調査捕鯨の結果も、それを裏付けている。でも捕鯨は再開されない。仮に再会される日がいつか来たとしての、一度現場を離れた彼らは二度と職場に復帰できないのだ。

 捕鯨の技術はあまりにも専門的なことが多く、一度技術が途絶えてしまうと取り返しがつかない。しかし今のような状態では、若い人が捕鯨の世界に入ることはあり得ない。捕鯨はやがて滅びるだろう。


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