かさぶた

1998/09/02 東和映画試写室
1987年にアボルファズル・ジャリリ監督が撮ったイラン映画。
少年院の子供たちを生々しいタッチで描く。by K. Hattori


 日本にはあまり縁のないイラン映画だが、最近はアッバス・キアロスタミ監督の一連の作品などが、少しずつ公開されるようになってきている。この『かさぶた』を撮ったアボルファズル・ジャリリ監督も、イラン映画界から日本に紹介されて、有名監督のひとりになるかもしれない。もともとは一昨年の東京国際映画祭で、『7本のキャンドル』『トゥルー・ストーリー』と一緒に紹介された作品だが、今回めでたく日本での正式公開が決まった。『かさぶた』の配給はビターズ・エンド、『7本のキャンドル』の配給はシネカノン。ふたつの配給会社はこの新しい監督を売りこむために、宣伝を一本化して2本まとめて売るつもりのようだ。確かにこれは、1本ずつばらばらに売りこむより効率がいいし効果的だろう。

 ひとりの少年が、反政府的な新聞を配っていた容疑で逮捕され、少年院に送り込まれる。この映画はその少年ハメッドを主人公に、彼の少年院での暮らしぶりを描いている。特に大きなドラマというものはない。はじめて少年院の大部屋に入った時はおどおどしていた主人公が、やがて院内で仲間を見つけ、部屋のボスと敵対し、泣いたり笑ったりしながら、季節が少しずつ過ぎて行く。実際に少年院の子供たちを使って、セミドキュメンタリー風の作りをしているようなのですが、こんなの、日本じゃ「青少年のプライバシー保護」たらなんたら言う理由で絶対に許可されないだろう。でもこの映画に関しては、そうした「生の素材」が持つ迫力が画面から伝わってくるわけで、面白い映画を作るには、ある程度の野蛮さも必要なのだと思う。真似しようにもできないけどね。

 同じように少年院が舞台ということで、僕は少し前に見た古いイタリア映画『靴みがき』を思い出していた。『靴みがき』も『かさぶた』も、少年院の中で作られる「子供たちだけの世界」を描いた映画だ。描かれている内容は、50年前のイタリア映画も、10年前のイラン映画も変わらないのだから面白い。ドラマとしては『靴みがき』の方がよくまとまっているし、面白いとは思うのですが、『かさぶた』には『靴みがき』にない生の迫力があります。少年たちの生き生きした表情は演出を感じさせないし、主人公のエピソードに関係なく、突然挿入される脇のエピソードが、映画に不思議な緊張感と厚みを与えていると思った。突然赤ん坊の泣きまねをする少年のエピソードなんて、なぜここにこのエピソードが入る必要があるのか、まったくわからない。でもこれがあることで、主人公周辺で小さくまとまってしまいがちな物語が、少し広がりを持つようになるのでしょうか。

 主人公をハメッドを演じた少年の風貌が、ちょっとウィノナ・ライダーに似ていてじつに可愛らしい。彼が怯えたような表情で「僕はいつになったら自由になるんでしょう?」と訊ねるシーンは印象的だった。映画はそこで唐突に終り、主人公のその後は誰にもわからない。とりたててどうという映画でもないのですが、少年の表情だはいつまでも忘れられそうもありません。

(英題:Scabies)


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