イノセントワールド

1998/07/22 シネカノン試写室
精子ドナーから生まれた少女が自分の父親を探す旅に出る。
最後のオチは「インセストワールド」? by K. Hattori


 話がそこそこ面白いので最後まで観られる映画だとは思うが、はたしてこの映画が何を言いたいのかさっぱりわからない。アクション主体の娯楽作品なら、中身にメッセージや主張なんて皆無でもいいのです。アクションはそれ自体が思想ですからね。でもこの映画はアクション映画ではない。東京の女子高生アミは、母親が第三者の精子を使って生んだ子供。家の中にいる戸籍上の父親とは血がつながっておらず、知恵遅れの兄タカシも異父兄ということになる。アミは援助交際で金を貯め、自分の本当の父親「精子提供者NO.307」を探す旅に出る。やがて「NO.307」である高森医師のもとにたどり着いたアミは、高森とその妻、彼らにすぐなついたタカシと共に、緊張感に満ちた同居生活を始める。

 この映画を一言で表現すれば「煮え切らない映画」ということになる。物語を構成するエピソードには、どれも明確なカタルシスがないのだが、これは意図したものだと思うので非難対象にはならない。でも普通カタルシスなしで映画を作るなら、エピソードに「カタルシスがない」ということが、明確なテーマやメッセージに結びついているものです。でもこの映画からは、そんなテーマやメッセージが少しも感じられない。材料は切り揃えられ、鍋の中に放り込まれている。でもそれは、カレーになるのか、シチューになるのか、それとも肉じゃがなのか、完成形が想像できないのです。でも、材料に火だけは通っている。これは「出来損ないのカレー」や「出来損ないのシチュー」ですらない。最終的にどんな味付けをするか考えあぐねた末に、結局何も味をつけないまま材料の芯まで火が通りきってしまった感じ。口に入れれば確かに食える。でも味はしない。

 主要な登場人物は4人いるが、彼らのうち誰が主役なのかがそもそもわからない。安藤政信演ずるタカシは、物語を支配するには弱い。竹内結子演ずるアミは、自分が何者なのか、自分が何をしたいのか最後までわからない。豊原功補演ずる高森は人間嫌いの冷血漢なのに医者をやっている奇人だし、伊藤かずえ演ずる高森の妻は、タカシや高森のことをどう考えているのかさっぱりだ。人間の性格なんてきっぱりと割り切れるものではないが、その割り切れないものを割り切るのが「物語」というものでしょう。同じ人物設定から、人は何通りもの物語を紡ぐことができる。でも映画作家が観客に提示するのは、その中のどれかであるべきなのです。

 何も結論を出さず「あとは勝手に考えろ」という映画も世の中にはあっていい。でも「あとは勝手に」と言うからには、それ以前に映画の作り手が十分物語と格闘し、組み伏せるまでの作業はしておいてほしい。何もかも曖昧なままが「リアルな人間」だというのなら、街中で通行人を眺めていた方がはるかに面白いよ。

 安藤政信は『キッズリターン』以来の映画出演ですが、相棒役だった金子賢はその間既に何本も映画に出て、最近はぐんぐんよくなってる。映画は出続けろ!


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