迷い猫

1998/07/15 ユニジャパン試写室
夫を殺した女を取材する記者がたどり着いた真実とは?
長曽我部蓉子と平泉成の掛け合いが面白い。by K. Hattori


 『LUNATIC』『アタシはジュース』のサトウトシキ監督最新作。といっても僕は前2作を観ていないので、今回の映画が監督の作品中、どういった位置にある作品なのかはさっぱり判断がつかない。夫を殺して逃亡中の若い女が、雑誌の記者に犯行までのいきさつを語るという構成。映画としては珍しくない形式だが、こうした形式の場合、語り手側と取材側の人物像が、映画の面白味を左右するといっても過言ではないだろう。取材される対象、つまりこの映画における夫殺しの女については、記者が根掘り葉掘り問いただせば、いくらでも映画にする材料は出てくる。問題は、取材している側の人間像を、どうやって語るかだ。このあたりは、脚本を書く人が苦労するところなんだよね。

 例えば同じ形式の『タイタニック』では、本筋に関係のないプロローグやエピローグで、ローズから話を聞いていた男の背景と心情を語らせていました。しかしこの『迷い猫』は、そんな段取り芝居を廃している点で『タイタニック』より上手です。その秘密は俳優にある。この映画では、取材している記者を平泉成に演じさせることで、小さな台詞の断片、記者が見せるちょっとした芝居を印象づけ、彼の心の動きや背景に広がるものを感じさせる。具体的なことは何もわかりませんが、こんなものは、映画を観ている時だけ、観客に漠然とした印象を与えればそれでよろしい。台詞の掛け合いを小津映画風のカット割りで描くシーンが目に付きますが、これも会話シーンにムードを出すことと、顔の表情をしっかり見せるためには効果的でした。平泉成の豊かな表情に対し、長曽我部蓉子演ずる犯人の無表情さが好対照です。

 上映劇場がユーロスペースになっていますが、フォーマットとしてはピンク映画でしょう。ものすごく低予算です。出てくる場所も少なければ、出てくる人物の数も少ない。そでいて作品がせせこましくなっていないのは、脚本と監督の手腕によるものだと思う。特に演出面では、時々カメラ位置を動かしたり、長い移動撮影を行っているのが印象に残った。主人公である桂子が突然海を見に行ったり、墓参りに出かけるといった変化も、映画を広がりのある物にしていると思う。また脚本面では、桂子と記者の話がしばしば食い違ったり、強い違和感を残したまま次の話題に進んだりするところが面白い。インタビューをし、それを映画が映像に翻訳しながら、桂子の犯行動機や行動の根にあるものが、結局は最後までわからないままなのだ。これが1エピソードごとに、いちいち腑に落ちるような構成だと、この映画はとたんにつまらなくなるだろう。わからないからこそ、これは面白い。

 ピンク映画なので濡れ場が結構長いし、回数も多いのですが、人物の組み合わせや状況によって、セックスのパターンを少しずつ変えているのはさすがです。セックスには人間が出ちゃうんだよね。僕は邦画のラブシーンに強い不満があるのですが、結局こうした場面が上手いのは、ポルノやピンク出身監督ってことになるのかな。


ホームページ
ホームページへ