カンゾー先生

1998/07/07 東映第1試写室
『うなぎ』で影を潜めていた今村昌平の重喜劇が復活。
町医者の奮戦ぶりを榎本明が好演。by K. Hattori


 『うなぎ』でカンヌ映画祭パルムドールを受賞した、今村昌平監督の新作。『うなぎ』は今村作品としては淡白な味で、タイトルとは裏腹に脂っ気の抜けた映画だった。「今村監督も歳をとったな」と思ってしまった。でも今回の『カンゾー先生』では、今村流の粘っこい描写が復活して、監督の健在ぶりを証明する力作に仕上がっている。この映画は最初、三國連太郎主演で撮影が始まったものの、健康上の理由から主演が榎本明にバトンタッチされている。出来上がった映画を観るかぎり、この映画を三國連太郎で撮るのは無理だと思った。おそらく、三國版のシナリオは現在の映画から、ずいぶんと違ったものになっていたのでしょう。

 終戦直前の昭和20年夏。瀬戸内海の小さな田舎町で、町の人々から「カンゾー先生」と呼ばれている赤城風雨という町医者が主人公。彼は往診のために、いつも町の中を汗びっしょりで走りまわっている。その苦しそうな顔が、少し笑っているようにも見えるところが面白い。彼にとって医者稼業は苦労の連続であると同時に、大きな喜びを与えてくれる天職でもあるのです。主人公は患者のために東奔西走しながら、日本人の国民病とも言える肝臓炎の原因究明を目指す学者肌の人物。薬品を確保するために軍部と掛け合い、脱走した捕虜を治療し、貧しい人からは治療費を受け取らない。医者としては「医は仁術」を文字どおりに体現した理想的人物とも言えますが、この映画は赤城先生を決して『赤ひげ』的英雄にはしない。赤城風雨は、どこまでも人間臭い小市民なのです。こうした人物像は、榎本明のキャラクターによるところも大きいが、やはり脚本の段階でみっちりとディテールが描かれている点が見事なのだ。

 肝臓炎撲滅に奔走する町医者が顕微鏡製作にのめり込み、ひとりの患者の死を看取れなかったことから、研究をさっぱりとあきらめて一介の町医者として生きて行くことを決意する物語。話の筋立ては単純ですが、ここに一筋縄では行かない周辺人物を何人も配置し、じつに豊かな世界を作り上げている。世良公則扮するモルヒネ中毒の外科医や、唐十郎扮する生臭坊主、松坂慶子が演じる料亭の後家さん、脱走兵役のジャック・ガンブランなども面白いのですが、やはりひときわ輝いているのは、麻生久美子演ずるソノ子でしょう。彼女のセックスに対する感覚は大らかながら、決してだらしないわけではない。頼まれるとイヤと言えない優しさと、貧しい家族を食わせなくてはならない義務感が、彼女に買春まがいのことをさせている。でも、彼女はそんな自分を決して恥じていない。映画のラストで、彼女が鯨を捕りに行く場面の格好良さにはしびれた。日本映画で、久しぶりに惚れ惚れするヒロインの登場です。

 主人公カンゾー先生が往診で走り回る場面に、軽快なジャズがかぶさるなど、映画全体に独特の軽味があります。物語やテーマのどっしりとした重量感と、こうした軽さの絶妙なバランスが、この映画の魅力でしょう。


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