狂わせたいの

1998/06/30 ぴあ試写室
現代美術の世界で活躍しているアーティスト・石橋義正の映画作品。
冒頭の10分ぐらいはめまいがするくらい面白い。by K. Hattori


 終バスに乗り遅れた気弱なサラリーマンがたどる、悪夢のような一夜……。'60年代から'70年代にかけてヒットした歌謡曲を織り込みながら、ブラックで、シュールで、不条理で、ナンセンスで、エロチックで、ファンタジックな世界を作り上げている。上映時間60分のモノクロ、パートカラー作品。監督・脚本・制作・撮影・照明・美術・出演と、ひとり7役の石橋義正は、関西を中心に、演劇やパフォーマンス、映画やビデオなど、多様な表現媒体で活躍しているアーティストだそうです。この映画『狂わせたいの』も、そうした表現活動の一環として作られた作品なので、これだけを取り出して1本の劇映画として評価してしまうのが、はたして正しいことなのかはわからない。作品のポジションとしては、現代美術のアーティスト、マシュー・バーニーが製作・監督した『クレマスター1』と同じようなものかも。上映劇場も、同じユーロスペースだし……。

 オープニングタイトルから、序盤の10分間ぐらいはすごく面白かった。終バスに乗り遅れたサラリーマンが、秘密の駅から発車する最終電車に乗り込むと、そこにはセクシーな美女がいて、様々な方法で彼を誘惑する。気弱な彼がそんな状況に困っていると、いきなり美女はすっぽんぽんの全裸になって、電車の中で歌いまくり、踊りまくり、ストリップさながらの光景が展開する。僕はこのくだりを観て、あまりの出来事に唖然としてしまった。あまりにもシュール。あまりにもパワフル。何が起こっているのかさっぱり理解できないものの、これは文句なしに面白い。今まで観たことのなかった映像が、目の前に次々展開されて行く精神的なショック。この調子で映画が60分続いたら、これはすごい傑作だ!

 しかし中盤以降、映画は急激に失速する。この映画は個々のエピソードに直接的なつながりがなく、数珠つなぎに小さなエピソードが連続しているのだが、そのエピソードが面白くなくなってくるのだ。冒頭のエピソードには、圧倒的な肉体の存在感があった。女性の身体に巻き付いたロープをほどいた後、それでも肌にくっきりと残っているロープの跡とか、全裸で踊る姿でどうしても目が行ってしまう陰毛とか……。話の構成や演出より、パフォーマンスとしての面白さです。ところが、その後の暴力酒場のエピソードや、泥酔タクシーのエピソード、踊る病院のエピソード、刑務所の面会室のエピソードなどには、冒頭にあった肉体性が希薄なのです。

 僕は何も、ヌードをもっと見せろと言っているわけではないよ。冒頭のエピソードが肉体を使ってもたらしていた破壊力に匹敵する何かが、それ以降のエピソードにどれだけあったかを問題にしているだけです。普通に作れば、タクシーの話も酒場の話も、もっと面白く観せる工夫はあったと思う。この映画は、そうした細かなテクニックでは笑いを取るまいという意図があったようにも思えるのだが、それで迫力不足になるのでは本末転倒。もう少し工夫して、最後まで面白がらせてほしかった。


ホームページ
ホームページへ