生きない

1998/06/02 日本ヘラルド映画試写室
死亡保険金で全人生を清算すべく、バスに乗り込んだ男たち。
ダンカンの脚本・主演で描く異色コメディ。by K. Hattori


 黒澤明の『生きる』でも、新藤兼人の『生きたい』でもない。たけし軍団のダンカンが脚本・主演し、北野監督の助監督だった清水浩が監督したコメディ映画だ。多額の借金で首の回らなくなった男たちが、旅行中の事故死に見せかけて保険金をせしめるため参加した、沖縄観光バスツアー。ツアー参加客は全員が目的を同じくした同志たちで、バスの中の添乗員も、運転手も、バスガイドも考えていることは同じ。それぞれが、それぞれの事情を一気に清算する手段として、バスに乗り込んだものばかりなのだ。ところが、そんな「自殺ツアーバス」に、何も知らない女の子がひとり乗り込んできてしまった。明らかにこれは、起きてはならない手違いが起きたのだ。だが後には引けない。ツアーは続行し、彼女は他の乗客たちの目的を知らぬまま旅を続けるのだが……。

 全員の目的地は同じ。それまでは別々の人生を歩んでいても、今は共通の目的を持った男たちが1台のバスに乗り込み、それぞれの人生の断面を披露して行くという話は、つい先ごろ公開されたスパイク・リーの『ゲット・オン・ザ・バス』とまったく同じ。違うのは、バスに乗り込んでいる人たちの目的が、ひどくネガティブな方向に向かっているという点だけだ。『ゲット・オン・ザ・バス』の脚本はなかなかうまく書けていたが、この『生きない』の脚本もなかなか見事。乗客たちの目的を、回想シーンなどを織り交ぜながら簡潔に描いてしまう。登場人物それぞれの性格や、ことここに至るまでの背景などを、段取り芝居を避けながらかみ砕いて説明するのは、なかなかよく考えられた脚本です。

 映画の前半はすごく面白かった。「集団自殺ツアー」というアイデアが面白いし、そこに何も知らない女性がひとり混ざってしまうというサスペンスもある。ところがツアーの目的を彼女が知った後半は、前半のスピード感が大きく後退して、いきなり普通の映画になってしまうのが残念だ。映画前半にあった吹っ切れた明るさが、後半はどろどろした人情劇の中に溶け込んでしまう。「なぜ生きるんですか」「生きるって何ですか」という問いかけや、「生きていれば面白いこともあるし」という弁明などは、この映画の中にはない方がいい。それより、どうやって彼女を騙くらかしてまたバスに乗せるかとか、別の部分で話を広げていった方がよかった。

 添乗員であるダンカンも自殺志願者に入っているはずなのですが、彼がどれだけの借金をこさえ、どんなつもりでツアーに参加しているのかという事情が見えてこないのも、何か意図があってのことなのだろうか。中心になる彼の「哲学」のようなものが明確になると、この映画はもっとメンバー同士の対立が深まって、サスペンスの味が増してきたと思うのだが……。

 僕は前半はすごく楽しく観ていましたが、後半になって少し寝てしまいました。前半でこれだけ面白いものを作れた人が、なぜ後半はこうなってしまうのだろうか。ちょっと残念な結果になった映画です。


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