幕末のスパシーボ

1998/05/05 有楽町朝日ホール
「スパシーボ」はロシア語で「ありがとう」の意味。
日露和親条約締結の裏話を描く。by K. Hattori



 1855年に当時の幕府と帝政ロシアの間で結ばれた、日露和親条約締結までの経緯を描いた長編アニメーション映画。先日、日本を訪れたエリツィン大統領に、お土産として手渡されたアニメビデオというのが、じつはこの作品だそうです。物語は、伊豆下田にロシアの軍艦ディアナ号が入湾してくるところから始まります。プチャーチン率いるロシアの全権使節団が、日本の開港と通商を求めてやってきたのです。直前にアメリカの武力に屈し、屈辱的な日米和親条約を締結した徳川幕府は、その二の舞いを避けるため、交渉団の代表に能吏で知られる露使応接掛・川路聖謨(かわじとしあきら)を立てて、強力な外交交渉を繰り広げます。

 ロシア側にとって不幸だったのは、この交渉の真っ最中に大津波に遭遇し、自分たちの乗ってきたディアナ号が大きく傷ついたこと。幕府は伊豆戸田(へだ)での船体修理を認めますが、戸田入港前に今度は嵐に遭って船が座礁し、さらに小船で曳航する最中に突風に遭い、ついに船は転覆沈没してしまいます。船を失ったことで否応無しに伊豆に上陸したロシア船員たちを助けたのは、近隣の漁民たちでした。船を失ったロシア人たちは、帰国のために新たな船を作りたい旨、幕府に申し入れます。幕府側も西洋船建造の技術を学ぶいい機会だと考えてこれを了承し、戸田・下田・江戸などから和船の船大工を駆り集めて、船の建造を進めます。映画はこの船普請に参加した、戸田の船大工たちの視点で語られて行きます。

 ロシア人技術者たちが、日本の船大工の技術水準の高さに驚く様子は、見ていて痛快でした。当時は船大工に限らず、大工・左官・鍛冶屋など、どんな職人たちも世界有数の技術を持っていたのです。ただし、新しい知識が海外から入ってこなかったので、洋船を作るには、まずそれを教えてもらわなくてはならない。船大工たちが簡単な設計図を見ただけで船の構造をすっかり理解し、「これなら何とかできそうだ」と簡単に言ってのける場面は面白かった。初めて見る洋船の竜骨に釈然とせず、「なぜそれが必要なのか、納得してからでないと船は作れない」と食って掛かる場面も面白かった。縮尺図面では勝手が分からないからといって、即座に原寸大の図面を引いてしまう場面は、思わずニコニコしてしまいます。

 僕は日露交渉の裏側にこうした事件があったことをまったく知らなかったので、この映画はすごく面白かった。でもドラマ作りの点では、プチャーチンと川路の政治交渉の部分と、船乗りと漁民たちや、船大工とロシア人技術者たちの交流の部分がばらばらで、ひとつの大きな物語に束ねきれていないような気がします。ナレーターを使った解説部分と、川路のモノローグの使い分けも効果的とは思えない。『幕末のスパシーボ』というタイトルをテーマにするなら、役人同士の交渉はもっと簡素にまとめ、漁師や船大工たちを中心に物語を再構成した方がよかったようにも思えます。なんだか全体に平板なので、もう少しめりはりがほしいと思いました。


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