傘をさがす

1998/05/04 有楽町朝日ホール
日映協フィルムフェスティバル学生映画最優秀作品。
脚本がひとりよがりで共感できない。by K. Hattori



 日映協フィルムフェスティバルに設けられている、学生映画賞の最優秀作品に選ばれた18分の短編映画。日活芸術学院の卒業制作として作られたもので、監督・脚本は窪田祐介。同棲中のカップルである正二とみよが、日常の中で迎えた小さな危機を乗り越えて行く様子を、1本の傘を通して描いた作品です。

 主人公正二が、恋人みよの誕生日に贈った傘を、行き付けのスナックでなくしてしまう。彼女にとって、誕生日に正二からもらった傘は特別な意味がある。それをわからないわけではないのですが、なんとなくバツの悪い正二は、素直な口を利くことができない。みよの実家から、最近たびたび電話があることも、正二は気になっている。みよは実家に帰ってしまうかもしれない。傘をなくした翌日、みよは置き手紙を残して実家に戻る。正二は会社を休んで、なくした傘を捜しまわることになる。

 最優秀作品になった『傘をさがす』ですが、僕はこの作品にあまり感心しなかった。出演しているのもどうせ素人同然の役者でしょうから、芝居が稚拙なのは仕方がない。音楽を使って感動を作ろうとする安直な演出や、セットの安っぽさにも目をつぶる。でも目をつぶれないのは、脚本の安易さなのです。ストーリーは同じでも、この脚本はもっと細部まで練り上げる余地がまだまだあると思うし、練り上げなければならないものです。脚本の中に「なぜ?」「どうして?」という部分が多いのですが、こうした小さな疑問をひとつひとつ潰して行くことが、テーマの掘り起こし結びつくと思うんだけどな。

 登場人物の少ない映画ですが、物語を動かしているのは主人公であるカップルだけで、主人公の会社の同僚も、スナックのママとマスターも、ほとんど事件にコミットしてこない。これでは、人間がまるで書き割りではないか。主人公たちの行動に、ある時はアドバイスし、ある時はコメントし、ある時は一緒になって悩み行動することで、周辺の人間が生き生きしてくると思うんだけど、この映画にはそうした人間関係がまったく存在しない。主人公たちは、自分たちで勝手に悩み、その悩みは勝手に解決してしまう。こんな希薄な人間関係を描くなら、いっそのこと二人芝居にしても同じだ。スナックの場面など全部省いて、アパートの部屋の中だけで、人間関係が煮詰まって行く物語にした方が面白かったと思うぞ。

 全般的に感じるのは、日頃の人間観察不足です。例えば、スナックでマスターに乱暴したサラリーマン客が外に出て行く時、なぜ全員が店のドアに背を向けているのだろう。普通は暴れた客が完全に店の外に出るまで、誰かが見てるだろう。この場面は、傘の取り違えに気づかなかった説明をつけるためなのでしょうが、傘の取り違えなんて、他にもいくらだって説明の仕方はあるよ。また、駅でサラリーマンたちを見つけた主人公が、いきなり「傘返せよ!」と食って掛かるのも疑問。あれじゃ、ケンカ売ってると受け止められて当然です。欲は言わない。せめて、もっと常識的な脚本を書いてくれ。


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