新諸国物語 笛吹童子
第一部・どくろの旗

1998/05/03 有楽町朝日ホール
萬屋(中村)錦之助の東映入社第1作。今観ると内容は……。
彼がアイドルだったということはよくわかる。by K. Hattori



 昭和29年に製作された、中村錦之助の東映入社第1作。昭和27年から31年にかけてNHKラジオで放送された「新諸国物語」の中から、第2作「笛吹童子」を映画化したもので、錦之助はこの作品をきっかけに大スターになった。錦之助はこれ以前に、松竹で美空ひばりと共演した『ひよどり草紙』や、新東宝の『御存知花吹雪七人男』に出演している。しかし、彼が日本中のアイドルになったのは、まぎれもなくこの『笛吹童子』から。この作品は『第一部・どくろの旗』『第二部・妖術の闘争』『完結篇・満月城の凱歌』からなる三部作だった。

 この連作のヒットに気をよくした東映は、その後も錦之助主演のシリーズ映画を立て続けに企画し、『里見八犬伝』5部作、『お坊主天狗』前後篇、『紅孔雀』5部作、『獅子丸一平』5部作、『異国物語 ヒマラヤの魔王』3部作、『新諸国物語 七つの誓い』3部作などを、次々と撮り上げて行く。これらを含め、錦之助はデビューの年から3年で、なんと46本の映画に出演しているのだ。そのほとんどが、主役もしくは準主役ばかり。当時は映画が量産されていた時だし、1本あたりの上映時間も短いものが多いのだけれど、それでもこの本数はすごい。『里見八犬伝』は毎週新作封切りだったので、1本あたり5日で撮っていたというからすごい。

 中村(萬屋)錦之助は昨年亡くなったわけですが、僕は彼の死を、「大往生だった」と思ってます。彼は映画界が上り坂の時にスターになって、映画俳優としてやるべきことは、すべて実現してしまったように感じるのです。これは昨年末に亡くなった三船敏郎も同じ。彼らは俳優としての黄金期を、きちんと映画の中でフィルムに定着し得た、幸福な俳優たちなのです。映画の黄金時代なんて、戦後の昭和20年代半ばから、せいぜいが昭和30年代の終わりまで、たかだか15年かそこらしかないわけです。その「日本映画黄金期」のピークと、俳優としてのピークが重なり合っていたスターたちは、幸福以外のなにものでもありません。錦之助の場合、本当にギリギリで黄金期に間に合ったケースです。何しろ彼の代表作である『宮本武蔵』シリーズも客足が落ちて、5作目は撮るか撮らないかの瀬戸際だったんですからね。

 今の目で『笛吹童子』を観ても、僕には退屈なだけでした。騎馬シーンなど今考えると贅沢に見える場面もありますが、全体に作りがひどくチャチだし、話も荒唐無稽すぎます。東千代之助、月形竜之介、大友柳太郎など、配役も豪華ですが、何しろ上映時間45分という中編作品なので、見せ場は少なく、全部観ても満腹感はない。クライマックスで竜が登場するシーンも、特撮がいかにも安っぽくて、見ていてハラハラするほどでした。しかしここには、映画が娯楽の王様だった頃に持っていた熱気が感じられます。映画作りの現場が持っていた熱気と勢いだけで、物語をぐんぐん先に進めていくようなエネルギーが感じられるのです。こうした熱っぽさが日本映画界に戻ってくることは、もう二度とないでしょう。


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