アパッショナート

1998/04/17 TCC試写室
人妻のもとに毎日届けられる熱烈なラブレターの差出人は誰?
シリアスな素材だが口当たりはユーモラスだ。by K. Hattori



 1991年製作のバート・ヤング主演映画『アメリカから来た男』でデビューした、アレッサンドロ・ダラトリ監督の2作目。1作目からずいぶん時間があいたと思ったら、この映画は'94年製作らしい。単に日本に入ってくるのが遅れただけなのね。『アメリカから来た男』は面白い映画だったけど、今では誰も覚えていないと踏んでか、宣伝用のチラシには監督の紹介がひとつも載っていないのが残念。むしろ売りにしているのは、『愛のめぐりあい』に出演していたキム・ロッシ=スチュアートと、『髪結いの亭主』『妻の恋人、夫の愛人』のアンナ・ガリエラ主演の映画だという点らしい。

 ところで、この邦題は何とかならなかったんだろうか。『アパッショナート』というタイトルには「熱情的な」という意味があるらしいのですが、タイトルからすぐに意味を連想できる人がどれだけいるんだろう。しかもこれ、原題とはまったく関係ないのです。原題の『SENZA PELLE』は「皮膚がない」という意味で、ロッシ=スチュアート扮する青年サヴェリオの、傷つきやすい精神を表している。もちろんこれでは日本語タイトルにならないだろうけど、『アパッショナート』はないだろ。これなら使い古された『愛と○○の××』の方がマシです。

 物語は一種の「ストーカーもの」です。ガリエラ扮する人妻ジーナに、次々届けられる熱烈なラブレター。しかし彼女には、差出人のサヴェリオという名前に心当りがない。手紙の存在を知った夫リカルドは、サヴェリオの所在をつきとめるが、その正体は心に障害を持つ青年だった。リカルドとジーナは、サヴェリオの母親や担当医の話を聞いた上で、彼を拒絶するのではなく、できるだけ受け入れようとするのだが……。

 この映画に登場する青年サヴェリオは、完全に無垢な存在として描かれています。彼のジーナに対する愛情は純粋で、迷いもない、打算もない、恋の駆け引きとも無縁。でも何の打算もない純粋すぎる愛情が、相手に受け入れられるとは限らない。彼は「人間は何かを得れば、何かを失う」と言いながら、恋に関してはあまりにも純粋で、自分を相手の前にすべてさらけ出し、同時に相手のすべてを求めてしまうのです。サヴェリオが童貞で、性的不能者として描かれていたことは重要です。彼の愛情は純粋すぎて、浮世離れしている。彼の愛情をそのまま受け止められる、生身の女などいそうにありません。

 一度は自分たちの側にサヴェリオを受け入れたジーナとリカルドが、最後に彼を拒絶することに対し、一部の人は不快感を持つと思う。「病人に対する同情で余計なことをするから、かえって深く彼を傷つけることになったではないか!」と怒るかもしれない。でも僕は、ジーナやリカルドが身勝手だとは思わないのです。最初からサヴェリオを拒絶してしまうことに比べれば、短い時間でも3人が共有できたほうが余程いいと思う。サヴェリオを傷つけないためには、彼の浮世離れした愛情表現にどこまでも付き合わねばない。でも、それは不可能です。

(原題:SENZA PELLE)



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