陽炎IV

1998/01/16 松竹第1試写室
高島礼子の大根ぶりに加え、脚本の不備、演出の力の無さが目立つ。
柴俊夫が昔気質のやくざを好演しているのが救い。by K. Hattori



 高島礼子扮する女博徒、不知火おりんが活躍する、シリーズ第3弾。1作目の『陽炎』はおりん役が樋口可南子、監督が五社英雄だから、現在の路線とはちょっと違うような気がする。(といっても、じつはこの『陽炎』シリーズを観るのは今回が初めてだったりするから、僕の言うことはあてにならないけど。)製作は松竹第一興行、製作協力は映像京都。映像京都というのは旧大映系の製作会社なので、技術力はそれなりにきちんとしている。衣装・セット・刺青など、この手の映画に必要な道具立てをきちんと使いこなせるのは、こうしたベテランのスタッフがいるからでしょう。少なくとも絵作りに関しては、それなりのレベルに仕上がってます。

 僕は高島礼子という女優がどうも苦手で、どう考えても彼女が優れた女優だとは思えない。どんな役を演じてもその役に没頭はできず、どこかで「女優:高島礼子」という実体を抱えたまま役に入っているような気がする。この映画でも、一本どっこの博徒として女を捨てて賭場にいる部分と、女としてのもろさを見せる部分に演じ分けがない。「城島りん」と「不知火おりん」の二面性がテーマになるはずなんですが、画面に映っている高島礼子の表情から、ひとつのキャラクターの二面性を演じようという意欲も工夫も感じられないのです。この人は基本的に、どうしようもなくヘタクソな女優なんですね。

 もっとも、こうした演技力の無さだけで高島礼子を責めたってしょうがない。『緋牡丹博徒』シリーズの藤純子だって、決して演技が上手かったとは思わないですからね。でも藤純子にはスターとしての華やかさがあったし、映画の中でも「緋牡丹お竜」をよりカッコよく、華麗に見せようという工夫があったはずです。僕の見たところ、『陽炎IV』という映画にそうした工夫の跡は見つからない。高島礼子を女優として盛り立てて行こうという意図なしに、ただダラダラとシリーズ化しているだけなら、こんなシリーズは早々に打ち切るべきです。

 今回の映画では、ドラマ作りの点で拙い点も目立ちます。そもそも永田組長が大人物には見えないのが致命的です。永田親分が人望の厚い大親分であればこそ、主人公りんも彼を助けたいと思い、柴俊夫も自分の親を裏切って彼につきたいと告白し、本田博太郎扮する永田組の幹部も命を捨てられるのです。映画に登場する永田組長には、男たちを引き付ける求心力が感じられない。これならむしろ、なりふり構わず組の拡大を目指す松岡組長の方が、よほどやくざとして筋が通っている。

 りんのライバルになる女博徒、乱れ牡丹の怜子の存在が中途半端なのも痛い。そもそも沢木麻美というキャスティングが理解できないな。これはもっと若くてきれいな女性が演じないと、弱い女が突っ張って生きてきた哀れさが出てこないよ。片岡礼子あたりだと適役だったと思うんだけど……。最後の立ち回りも迫力不足。トンネルに入ると突然雨が降り出すなど、絵がつながっていないのも困ったものだ。最後まで爽快感のない映画でした。


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