クリスマスに雪はふるの?

1998/01/06 シネ・ヴィヴァン・六本木
どんなに大きな不幸も、それに気がつかない内は幸せに感じる。
根本的な救いがないから、後味は悪い。by K. Hattori



 舞台は南仏の農村地帯。のどかな農家の生活を描いた映画かと思ったら、これがとんでもなく不幸なホームドラマだったことに意表を突かれました。農場で働く7人の子供たちと母親の話です。農場主は子供たちの父親。ところが、父と母は正式の夫婦ではないのです。父親には少し離れた別の農場に本宅があり、そこに正妻と、彼女に生ませた子供たちが暮らしている。7人の子供たちの母親は2号さんというわけです。

 幼い子供たちの母親は、労働に明け暮れる農場の暮らしと子供たちとの生活の中に、ささやかな幸せを感じている。昼間は農場に現われ、夜になると彼女と子供たちを残して本宅に帰って行く男に、偽りのない愛情を注いでいる。子供たちを奴隷のようにこき使う父親に、子供たちはあまりいい印象を持っていないけれど、自分たちの父親として一定の敬意を払い、おそれも抱いている。父親である男は、こうした状態を恥ずべきこととは考えていないらしい。本宅の農作業が忙しくなると、小さな子供たちを何人か本宅によこして手伝いをさせるくらいです。ただしその様子を近所の人が見たときは、子供たちに「従兄弟です」と言わせるようにしつけている。

 とにかく、ひどいのは子供たちの父親です。子供たちと母親をさんざん働かせるくせに、トイレもないあばら屋に住まわせ、渡す金は農場の労賃扱い。しかも食費は抜いてあるから、実際に払う額はたかが知れています。「電気代は請求していない」と威張りますが、そもそも電気をほとんど使わせない。食事の合間に母親をベッドに誘い、用が済むと本宅に戻るのだから、彼女は男にとって、安価な労働力と性的慰安を与えてくれる、すごく都合のいい女でしかない。彼が子供たちに親としての愛情を感じていないことは、彼が長女を口説こうとしたことでもわかります。冬になると、薪も取り上げるしね。

 この家族は観客の目から見るととてつもなく不幸なんですが、本人たちにはあまりそうした自覚がない。確かに農場の仕事はきついし、世間から後ろ指さされることもあるけど、子供と母親の絆は強く結ばれていて、子供たちも仲がいい。畑仕事の合間にちょっとした遊びを考え付いたり、学校の行き帰りに一緒に歩いたりすることが楽しくてしょうがない。母親も不実な男が時折見せる優しさや愛情の中に、心底安らぎを感じている。彼らは確かに不幸なんだけど、そんな境遇の中にも、かけがえのない小さな幸福は存在しているのです。どんなに大きな不幸も、本人にそれが「不幸だ」という認識がなければ不幸ではない。でも一度我が身の不幸を悟ってしまうと、それまで気がつかなかった分まで、一気に不幸になってしまうような気もします。

 この映画の中でも、母親はある日突然、自分の不幸に気がついてしまう。自分だけならまだ我慢もするけれど、自分の行動が、子供たちを不幸にしていることに気がついてしまう。彼らはこの不幸から脱出できたのだろうか。映画の「その後」がすご〜く気になります。


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