a.b.c.(アーベーセー)の可能性

1997/12/19 シネセゾン試写室
フランスの地方都市ストラスブールを舞台にした青春群像。
新人の役者たちが演ずるリアルな青春。by K. Hattori



 アニエス、ベアトリス、カトリーヌ、ドゥニーズ、エマニュエル、フレデリック、ジェラール、アンリ、イヴァン、ジャック。名前の頭文字がAからJまでの10人の若者たちを主人公に、恋や進路に迷う20代の青春を描くフランス映画。舞台がパリではなく、ドイツとの国境に近いストラスブールになっているのは、出演した俳優たちがこの町の演劇学校の生徒だからです。

 監督・脚本のパスカル・フェランは、'94年のカンヌ映画祭でカメラドール(新人賞)を受賞した女流監督。ストラスブール国立劇場付属の演劇学校から、彼女に対して「最終学年の生徒10人に均等な役を与えて1本の映画を作ってほしい」という依頼があったのです。演劇学校の校長であるジャン=ルイ・マツティネリという人物は、ストラスブール国立劇場の総支配人であり、演出家としても高名な人物だそうです。演劇学校も名門で、数々の俳優や演出家を輩出しているらしい。『ニキータ』の鬼教官、チェッキー・カリョもこの学校出身だとか。おそらく今回の映画『a.b.c.の可能性』からも、何人かのスターが生まれるでしょう。

 「同じフランスでも、パリだけは特殊な場所」という一般的な思い込みがあったのですが、この映画に出てくる風景は特別「田舎町」「地方都市」という感じもしなかった。カメラが人物に密着して動いているから、「ストラスブールならでは」という風景も特別出てこないように感じたし、登場人物たちのファッションもパリと変わらないように感じた。言葉に訛りがあるとか、フランス人なら誰しも気がつく記号があるのかもしれないけど、さすがに僕もそこまでは判別がつかない。ストラスブールでなければ成立しないエピソードは、役者志望のドゥニーズがパリに旅立つくらいだし。ひょっとしたら今のフランスというのは日本と同じで、すべての地方都市が小さなパリと化しているのかもしれません。

 1時間46分という上映時間で、10人の登場人物をうまく描き分けて行きますが、やはり人数が多かったような気がします。それぞれのキャラクターはふっくらと仕上がっているのですが、物語が個々のエピソードに執着せずに流れていってしまう印象も残る。地方ロケ中の女優エマニュエルなんて、とりあえず人数の帳尻を合わせた感じで、他の人物たちとのバランスが悪いしね。画家志望の青年で泣き上戸のジャックも、もう少し掘り下げて行くと面白味が出てきそうなんだけどな。

 結局、バランスよく男女5人ずつのキャラクターを登場させ、エピソードも均等に配置しようとした結果、どこかで食い足りない部分が出てきたんだと思う。中心になる人物を、例えばクールなアニエスと恋に夢中なベアトリスあたりにしぼり、ふたりに附随するエピソードとして数人の物語をからめて行く方がよかったと思う。

 この映画を観て、僕はキャメロン・クロウ監督の『シングルス』を思い出しました。『シングルス』が好きな人は、観て比較してみるのも面白いかもしれません。


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