ニル・バイ・マウス

1997/11/27 日本ヘラルド映画試写室
俳優ゲイリー・オールドマンの監督・脚本作品。製作はリュック・ベッソン。
サウスロンドンの風景にオールドマンのルーツを観る。by K. Hattori



 俳優ゲイリー・オールドマンの初監督作品。つい先日、ケビン・スペイシーの初監督作『アルビノ・アリゲーター』を観たばかりなので、同じ時期に俳優から俳優業に手を出した人たちの作品としてついつい比べてしまう。個人的に結論を言えば、映画の出来としてはこの『ニル・バイ・マウス』の方が格が上とみた。これはやはり、他人の脚本の演出に専念したケビン・スペイシーと、自身で脚本まで書き下ろしたゲイリー・オールドマンの、入れ込み方の違いだろう。だがこうして単純に比較してしまうのはスペイシーには酷かもしれない。ふたりは監督として表現したい方向性が違うのです。スペイシーはどちらかというと、舞台劇の演出家に近い立場で映画を撮っている。映画に描かれている対象から少し距離をとり、客観的な視点で演出しているのでしょう。でも『ニル・バイ・マウス』のオールドマンは違う。彼は自らが、映画の世界の中にぐいぐい入りこんで行く。

 映画の舞台になっているロンドンの下町は、ゲイリー・オールドマンの生まれ育った界隈だそうです。映画に登場するパブは、彼の父親が実際に通っていた店。彼の母親が時折歌を披露していたパブも映画に登場し、ゲイリーの母親ケイが歌う「Can't Help Lovin' Dat Man」を聞くことができます。(この曲はジェローム・カーンのミュージカル『ショーボート』の中のナンバー。この店でその直前に歌われていたのは、コール・ポーターの「My Heart Belongs to Daddy」だった。いい店だなぁ。)こうして自分のごく身近な風景を描いているからこそ、この映画に登場する街並みは、皮膚感覚に訴えるリアルさにあふれているのでしょう。

 映画の中に、僕はゲイリー・オールドマン本人を捜してしまう。きっとどこかに、彼自身を投影した人物がいるはずだと思ったのです。そうしたら出てきました。公演で父親と遊んでいた少年が、父親に「ゲイリー」と呼びかけられてました。なるほど、彼はああだったんだね。自分と同じ街に暮らす人々を、冷たい刺すような眼差しで観察している子供だったんでしょう。オールドマン本人は、「(この映画に登場する)それぞれの人物には自分自身が託されているが、特に自分を代弁しているのは幼い少女ミシェルだ。僕はとてもシャイでおとなしい子だったんだ」と述べています。

 家族の崩壊と再生を描いたヒューマンドラマです。最初は若い麻薬中毒者の視点から物語がはじまり、その姉、姉の夫へと主人公が変わって行く。タイトルの『ニル・バイ・マウス』というのは、麻薬中毒者の弟を持つ妻に暴力をふるう夫の台詞の中に登場するエピソード。最初に映画に登場するのもこの暴力亭主だから、最初からこの人が主人公といえばそうなんだけど……。物語の視点を次々に変えて行くことで、人間の持つ多面性がじつに生き生きと効果的に描き出されている。しかも、視点の変化をほとんど意識させない、シームレスな構成。とてもこれが初監督作品とは思えない手際の良さです。


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