ゲーム

1997/11/13 ヤマハホール(試写会)
デビッド・フィンチャーの新作は、悪夢めいた『素晴らしき哉、人生』。
単純に面白がるには奥深い恐怖を持つ映画です。by K. Hattori



 『エイリアン3』『セブン』のデビッド・フィンチャー監督最新作は、マイケル・ダグラス主演のサスペンス・ミステリー。エリートビジネスマンがふとした気まぐれで参加した「ゲーム」に翻弄され、それまでの地位や名誉や財産などのすべてを失い、ヘトヘトになってゆく様子を描く。「次に何が起るか?」という個々のエピソードの面白さと、フィンチャー流の映像テクニックには最後まで魅了されますが、映画そのものには感心しなかったし、最後の最後まで納得できない部分も残った。観終わった後の感触も、非常に後味の悪いものだ。何となく口の中にザラザラしたものが残る。

 人生に疲れきった男が、ある事件をきっかけに自分自身と周囲の関係を取り戻して行くという話です。僕は映画がはじまって5分もしない内に、これが往年の名作『素晴らしき哉、人生』の焼き直しであることに気付いてしまった。CRS社の提供する「ゲーム」という商品は、『素晴らしき哉、人生』で天使が主人公に見せた幻影を、現実に作ってみせるシステムなのです。ターゲットになった人物の周囲を、役者や特殊効果を使って人工的な劇場空間に仕立て、それまでの日常とは違う別の世界へと強引に捻じ曲げて行く。ゲームに参加している本人は、どこまでがゲームでどこからが現実かまったくわからない。そもそも、目の前にあるものはすべて現実だと信じているのだから、ゲームの展開には面食らう。ゲームの参加者は、それがゲームだと知らないまま、ゲームを通して自分自身の人生を見詰め直し、新たな人生のスタートを切る。なるほど、このアイデアは面白い。

 ただし疑問点もある。ゲーム参加者を極端に追いつめて行ったとき、参加者の思わぬ行動がゲームの枠組みを超えてしまうことはないのだろうか? ゲームのプログラムは、そこから抜け出そうともがく人間の、どんな知恵をも凌駕するほど巧妙なのだろうか。「窮鼠猫を噛む」ということわざがある。追いつめられた鼠は、次の瞬間どんな行動をとるかわからないのではなかろうか。この映画の主人公は、思い込んだらまっしぐらに突進して行く『フォーリングダウン』のマイケル・ダグラスですから、こうした展開にも笑っていられる。でも、追いつめられるのが『バウンド』のシーザーみたいな男だったら、ゲームの主催者側は絶対に裏をかかれると思うぞ。

 この映画の後味が悪いのは、人間の必死の努力が、しょせんは誰かの考えた枠組みの中でのあがきに過ぎないという前提に、僕自身が不快感を感じるからです。最後はハッピーエンド? 違うよ。僕はあの前の、主人公のダイビングで終わってこそ、多少の救いがあるのだと思う。少なくともダイビングした主人公は、そこでゲームから抜け出すことに成功したかに見えた。でも、そうじゃない。ゲームは際限なく永遠に続くのです。

 謎めいたゲームは、自己啓発セミナーや新興宗教の洗脳とどう違うんだろう。CRS社の背後にはどんな人物がいるんだろう。その方がよほど恐ろしい話です。


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