スリング・ブレイド

1997/10/23 シネセゾン試写室
粒ぞろいの役者たちが生々しい芝居を見せる傑作人間ドラマ。
監督・脚本・主演のビリー・ボブ・ソーントンに拍手。by K. Hattori



 観終わった後、胸にズシンとこたえる人間ドラマだ。97年のアカデミー賞で、主演男優賞と脚色賞にノミネートされ、脚色賞を受賞した映画だという。脚色賞は原作を映画用に脚色した功績に対して贈られる賞だが、この『スリング・ブレイド』は、この映画の監督であり、脚本家であり、主演俳優でもあるビリー・ボブ・ソーントンが自作自演で演じた舞台劇が原作。ソーントンはそれを93年に短編映画にまとめ、96年にはこの長編映画へと仕上げた。カール・チルダースという心優しい殺人者のキャラクターを、ここまで育て上げたソーントンの執念と、キャラクターに対する愛着には頭が下がる。

 主人公カールは知的障害を持つ男だが、少年時代に母親の不倫現場を目撃し、不倫相手と母親を「スリング・ブレイド」と呼ばれる大型のナイフで斬殺した過去を持っている。事件から25年がたち、医療刑務所から釈放されることになったカールは、釈放直前に行われた大学新聞記者の質問に対して「殺したことは後悔していない。また同じことがあれば殺すだろう。だがもう殺す相手はいない」と答える。カールは生まれ故郷の町に帰るが、戻る家はない。温かく迎えてくれる家族もいない。地域のボランティアや親切な工場主の助けで、少しずつ日常生活に戻って行くカール。やがて彼は、父親を亡くしたフランク・ウィトリーという少年と親しくなる。

 フランクの悩みと苦しみは、自殺した父親に代り、母親に新しい恋人ができたことです。その男ドイルは、別にも恋人がいるくせに母親を召し使いのようにこき使い、母子にしばしば暴力を振るいます。そんな男を憎んだ様子を見せながら、完全には手を切れない母親にも弱さがあるのですが、フランクの憎しみはもっぱらドイルに向けられている。カールは身を犠牲にしてドイルを家から追い出すわけですが、彼自身はフランクの母の弱さをよく承知していたし、そのままではフランクの憎悪の対象がやがては母親の弱さに向かうことに気付いていたのでしょう。何しろ彼は自分の母親にもあった同じ「弱さ」を憎み、実母殺しの大罪を犯した男ですからね。

 カールの人物像は、西欧に古くからある「聖なる愚者」の伝統を踏まえたものです。聖なる愚者の汚れなき心根に触れることで、周囲の凡夫たちは心を開かれ、少しずつ幸せになる。だが愚者は愚者であるがゆえに、自分の為したことの重大さを悟ることもなく、誇示することもなく、押し付けがましくすることもなく、静かにその場を立ち去って行く。大事なのは、常に他者のために働く無私の人であること。そこが「寅さん」とは違うところです。聖杯伝説に登場するパーシバルなどが、「聖なる愚者」の典型的な人物でしょう。『スリング・ブレイド』の主人公は、知り合った少年のために自らの身を犠牲にする。そこにはわずかな迷いもない。彼は自分が為し得る行為の中で最良の選択をした。たとえそれによって少年と永久に別れることになったとしても、彼は自分の行いを後悔しない。彼は「聖なる愚者」だからです。


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