遥か、西夏へ

1997/10/21 徳間ホール(試写会)
徴税を終えて国に戻ろうとする兵士たちと敵兵との一大チャンバラ劇。
11世紀の中国西部を舞台にした中国版「西部劇」。by K. Hattori



 11世紀の中国を舞台にした時代劇。といっても、これは重要な歴史的事件を素材にした「歴史物」ではない。描かれているのは、黄河上流という辺境地域で起る異民族同士の小競り合いだ。当時の中国西部は、漢民族の宋、モンゴル族の契丹、タングート族の西夏などがそれぞれの領地を主張していた。この映画の主人公たちは、タングート族・西夏帝国の兵士たち。彼らは支配地域にある漢族の村から、10人の男の赤ん坊を人頭税として連れ帰る任務を負っている。西夏に連れ帰った赤ん坊は、西夏の兵士として育てられるのだ。西夏という国は、そうやって大きくなってきた国なんですね。

 歴史年表によれば、西夏は1038年に建国され、ほぼ200年後にチンギス・ハンの蒙古に滅ぼされるまで、西夏文字など独自の文化を持つ帝国として栄えたことがわかります。この映画には西夏の兵士たちだけでなく、当時の漢族の村の風俗、契丹の兵士たちなどが登場して、それらを観ているだけでもすごく面白い。古代からずっと単一民族で歴史を紡いできた日本人から見ると、中国大陸の歴史はずっとダイナミックです。中国は今でも少数民族問題を抱えていたりしますが、そうした問題の根っこには、千年以上続く民族同志の興亡の歴史があるのですね。映画で観ると、それが実感できます。

 映画に登場する西夏の兵士たちは、漢族の村で10人の赤ん坊を集めた直後に契丹兵たちに遭遇し、混乱の中でひとりの赤ん坊を村に置き忘れてしまいます。しかし皇帝の命令で「10人」と言われている以上、何がなんでも10人の男の子を西夏に連れ帰らなければならない。思いあぐねた隊長は、街道沿いの井戸で水をくんでいた臨月の妊婦を誘拐し、生れたばかりの男の赤ん坊を10人目として西夏に連れて行こうとする。やがて無事に男の赤ちゃんが産まれますが、子供を奪われた母親は、兵士たちの後をずっとついてゆく。やがて兵士たちと母親との間に、連帯感と交流が生まれ始めるのです。

 西夏に向かう兵士たちと、それを追う母親、兵士たちを追跡する契丹の兵士たちが、荒れ地の中をどんどん進んで行きます。途中で契丹兵たちと小さな戦闘があったり、タングート族の集落で休息したり、西夏の砦で大規模な戦闘があったりする。兵士たちが赤ん坊を連れて西夏に向かう移動風景を軸に、大小のエピソードが数珠つなぎに配置されている構成です。

 監督・脚本は、これが映画監督デビュー作となるルー・ウェイ。彼は『さらば、わが愛/覇王別姫』など、20本以上の映画に脚本家として参加したベテランの映画人です。ただしの映画は、自分の書いた脚本がきちんと映画に仕上がっていない。映画の序盤はいいのですが、中盤意向は各エピソードをつなぎとめる大きな物語の力が弱くなり、エピソードが細切れになってしまった。旅を通して隊長が人間的な成長を遂げるのですが、そうした変化が台詞だけで説明されてしまい、具体的な裏付けが感じられないまま終わってしまったのは残念です。


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