張込み

1997/10/07 徳間ホール(試写会)
連続殺人事件の捜査に協力する造船所の保安係を描く中国映画。
犯罪ドラマとしての魅力に乏しい、いびつな映画。by K. Hattori



 11月からテアトル新宿で始まる「中国映画祭97」に出品される、97年製作の中国映画。どうでもいいけど、このタイトルはなんとかならないのかなぁ……。『張込み』というタイトルの映画は、既に何本も存在するではないか。昭和32年に制作された野村芳太郎監督の同名映画(傑作!)があるし、88年のアメリカ映画にも『張り込み』というタイトルの映画がある。今回の『張込み』はせっかくの新作なんだから、もう少し気の利いた新鮮味のある邦題を付ければいいのにと思う。

 連続殺人事件を捜査する警察に協力することになった造船所の保安係ふたりが、町外れの給水塔の上で、延々30日以上に渡る監視作業につくことになる。秘密捜査のため、家族や恋人にも自分のしている仕事を打ち明けられないふたり。年配のティエン課長は体調不良で苦しそうな顔。若いミンチュは、自分の留守中に恋人が昔の婚約者とよりを戻すのではないかと心配する。

 この手の映画では、監視する側とされる側の対比や双方の人間模様が全体のドラマを織り成して行くのが常だろう。監視する側は相手のことを隅々まで知り尽くしているが、監視される側はそんなことも露知らず、私生活の秘密を次々と暴露してしまう。「覗き見」の生み出す快感と良心の呵責という点では、ヒッチコックの『裏窓』などもこのジャンルに加えてもいい。ところが、この『張込み』では、監視される側が監視者の存在にいち早く気付き、覗く側と覗かれる側の対比という映画の根本的ダイナミズムは早々に破壊される。犯罪捜査という基本的なストーリーラインがあるにも関わらず、映画が少しもサスペンス色を帯びてこないのはそんな理由からだ。これでは捜査の指揮を執るヤン・カオ班長が、ちっとも敏腕刑事に見えなくて当然だろう。

 警察の追っている犯人たちは「連続殺人犯」という設定だが、どんな理由でどんな人たちを殺したのか、犯人グループの目的は何なのかという説明が一切ない。この映画における「連続殺人犯」という罪状は、「社会正義から逸脱した憎むべき凶悪犯」に対する符丁でしかない。犯人グループのリーダーが「大学出のインテリ」という設定も、「頭のいい知能犯」という犯人像に対する符丁なのだ。映画はこれ以上に犯人像を掘り下げて行くことはないし、犯人の人となりや言い分を取り上げることもない。犯罪ドラマの醍醐味のひとつが、魅力的な悪役の設定にあることは常識なのに、この映画はそんな常識を無視するかのようにふるまっている。

 犯罪ドラマとしてはちっとも面白くなかったので、もっぱら細部の生活描写を見て面白がっていた。例えば、若い女性の部屋の洗面所に花王のビオレが置いてあるとか、中国の若い女の子は料理の仕方もしらないとか、そんな部分が面白い。日本帰りの男が羨望の目で見られているというのも「中国の今」なんでしょうね。中国から日本への密入国が増えている背景には、この映画に描かれているような中国人の日本観があるのでしょう。


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